パラグアイに行こう・ブログ

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スコットランド独立問題で俄かに英国が注目されています。イングランドとスコットランドが連合した王国となって以来、英国は世界に広大な領土を有し世界帝国として君臨して来ました。特に19世紀は黄金期でパックス・ブリタニコと呼ばれる全盛期でした。20世紀に入り米国等が台頭し世界大戦等を通じて国外領土の大半を失い現在では海外領土は遠隔地の島などを残すのみとなり、ほぼ元々の欧州北西部のブリテン島を有するだけとなっています。それでも過去の遺産は大きく世界からは大国と見なされています。産業革命以降、世界の工業の中心となり重厚長大産業を得意とし炭鉱、鉄鋼、造船等を中心に英国の一部としてスコットランドは繁栄して来たのですが産業構造の変化並びに英国政府の方針転換で主な産業が壊滅し、大英帝国の終焉で連合王国に留まる意義を失いかけているのかも知れません。多くの人が没落した大国の一部としてでは無く新生国家、新興国として自分達の力を試したい、新たな挑戦をしてみたいと考えているのでしょう。

外からは相当無謀に見えるのですが、当事者の住民は本気で大真面目に自分たちの将来を考えているのだと思います。以前からブリテン島に住んでいたケルト族を大陸からやって来たゲルマン系のアングロ・サクソン族等が支配をし、ケルト族はアイルランド島、ブリテン島の北部と西部に追いやられそれぞれ国家を作って出来上がったのが現在の英国という事であり、スコットランドも長い間イングランドと戦争を行い征服された歴史を有し、気持ちの底には被征服者という意識があり、イングランドに対して複雑な感情を有しているのだと思います。

かなり以前、2年ほど前からスコットランド独立の是非を問う住民投票はこの9月18日に実施すると設定されていたのだそうです。ただ、これは圧倒的な反対票で長年くすぶっていた一部の過激な独立シンパを封じ込める儀式だとして英国政府は考え世界的も余り注目しておらず、世界的なニュースとはなっていませんでした。独立した場合の困難さや経済的なダメージを考えますと正直余り現実的では無く、多くの良識ある人達は反対票を投じると見られ、軽くダブルスコアーで反対が上回ると考えられていたようで、つい一ケ月前くらいまでは余り大きな問題とは考えられていませんでした。ここに来て地道な草の根運動が功を奏し、急激に独立賛成派が勢いを増し各種世論調査でも拮抗して来ており、中には賛成が上回る可能性も出て来て英国政府も慌て出しています。投票直前となり多くの世論調査が出ていますが、賛成が多いもの、反対が多いもの両方あるようです。対象者がいずれも千人程度ですが調査対象をどのように抽出するのか非常に難しく恣意的に結果を出しているのかも知れません。

英国から離れるリスクは余りにも大きく不確定な要素が大きく債務分担や通貨の問題、資金の引き上げ等、経済的な損失も大きいので、常識的な見地から最終的には反対が上回ると想像しる人が多いように見えます。マスコミも同様でNHKの解説員も「万一賛成が上回れば」という表現を使っており、大方の予想は最終的には態度を保留している人の大多数が反対に回り英国に留まる事を選択するとみています。1995年に行われたカナダからのケベック独立の是非を問う住民投票では独立派勢いを増す中、終盤戦で世論調査では独立賛成が多数であったのですが、最終段階になり揺れ戻しの現象が生じ僅差で結果的には反対が上回りました。今回も特に現実的な女性の皆さん、そして年金に頼る熟年層が冷静になり損得勘定から例え心情的には独立を望んでいたとしても最終的には反対に投票するというケースが多くなるものと想像します。年配者の中には古き良き英国を捨てる事に抵抗を感じる人も多いのでしょう。

ただ、もし独立と決れば英国は新生スコットランドに対して余り強い制裁を加えると自国に大きな反動が起きるので現実的な対応をするしかないでしょう、賛成が上回るとしても僅差でしょうし、英国に留まりたいと願っている人も多いのは事実ですので余り追い込む事は出来ないでしょう。新生国家は多分対岸に位置するノルウェーをモデルに国造りを進めるのではないでしょうか、この国はEUに加盟せずに繁栄している、人口も同じくらいですので関係強化が一気に進むかも知れません。また同じくEU加盟国では無いアイスランドとも関係が深まり、EUに入れない場合には北海を取り囲む三ヶ国で北海諸国と呼ばれるようになり、一定の政治勢力となるかも知れません。欧州統合を最終ゴールとするEUとしては強く排除するのは得策では無く、取り込んで行く必要があると判断すれば加入に対して無理難題を突き付ける事は出来ないと思います。

通貨の問題もどうなるのか分かりません。現在スコットランドでは3つの銀行がスコットランド・ポンドを発行し、イングランド銀行が発行したポンドと混在して利用され、英国政府が価値を保証しスコットランドの外ではイングランド銀行が発行したポンドに交換が可能です。独立となりますとこの通貨を発行している現行はイングランド移転すると表明しており、スコットランドは新たに中央銀行を設立して通貨を発行する等の処置が必要になるでしょう、その時に通貨の価値、特に英国ポンドとの関係が予測出来ず、どのようになるのか全く分かりません。これも反対を主張する人達の理由の一つになっています。投資がイングランドに一斉に引き上げられて経済が不振になるという予測がありますが、新生スコットランドに対してはこれだけの先進国で新しい国家という例は今まで余り無かった事もあり、世界の多くの人が関心を持ち投資も行われる可能性もあると思います、湾岸諸国、インドなどかつて英国の植民地であった国々はスコットランドに連帯意識を持ち投資を行う等サポートに回るかも知れません。独立国となれば世界から注目され観光客が増え、飛行航路も各地から直行便が飛来するようになる事でしょう。

独立派が勝利した場合にはスコットランドよりもむしろ英国へのダメージは計り知れないと思います。自国民にノーを突きつけられた政府に対して今後は外国がまともには相手にしてないと思います、この事で英国の更なる凋落が起きるのではないでしょうか。世界の大国英国が解体となればその影響は世界に及び世界情勢が予測不可能な状況に陥る危険もあるように感じます。この場合には現在のキャメロン首相は大英帝国の終焉、英国崩壊の責任者として永遠に世界史に名を残す事になるでしょう。結果的には英国の盛衰がスコットランドの住人の判断に委ねられた格好になっていると感じます。英国としては何としても独立を阻止しなければならず、女王陛下まで担ぎ出して繋ぎ止めに必死になっています。独立運動を軽く見ていたツケが出たように思います。北アイルランドの対岸はスコットランド領ですのでイングランドとの交通は不便となり効率が悪くなり、残った国内をまとめて行くのも大変でしょう。

世界の世論としては独立反対のようです。英国が不安定になり将来が見えない事も大きいのですが欧州の国々それぞれの国の内部で抱えている独立の動きに拍車がかかることを恐れているように見えます。一番深刻なのはスペインのカタルーニャで人々は長い間独立したいと願っている訳で独立への動きは加速する事は間違いありません。ベルギーは既に実質的には統一国家としての体裁を為しておらずオランダ語地域の独立は既成事実の追認という事になるのでしょうが、もしこのフランデレン地域が独立となりますとこの地域の中に在るブリュッセルをどのように扱うのか問題になります。この都市だけはフランス語話者が8割を超えており、フランデレン地域の首都であっても除外されるでしょう。現在欧州内は国境無しで自由に往来を認めるシェンゲン協定がありますが、フランデレン地域が独立しますとEUに再加入しシェンゲン協定に加盟するまで除外される事になります、そうなりますとEU本部のあるブリュッセルから自由に他の国に行く事が出来なくなるという笑えない事態が出現する可能性があります。そのような独立の動きの中で最も深刻な問題はロシアに近い旧ソビエト連邦のバルト三国と見ています。特にラトビアには国境を接するロシア人が多く住む地域が広がっており、ロシア人が多数を占める地域がロシアへの帰属を住民投票で決議するという事態が想定されます。ラトビアの住人は230万人くらいですが、ソビエト連邦時代から住むロシア人はラトビア国籍を有しておらず、ロシアへの帰属を強く望んでいるようです。ウクライナはNATOの外ですが、ここはEU内部なので独立運動が高まるような事態となればEUとロシアの対立は決定的になる心配があります。

今回の事でスコットランドはかなり大きな利益を得たように感じます。世界にスコットランドは英国の一地方で無くイングランドと共に連合して英国を構成している事を改めて強くアピールする事に成功しました。反対票が上回り独立を為しえないとしても今回の事で国のあらゆる場所にスコットランドの民族意識が高まり、至る所にスコットランドの旗が翻るようになりました。英国政府から自治の拡大に関してかなりの譲歩を得る事に成功しました。今後はスコットランド議会の重みも一層増し国家の中の国家という感じになって行く事でしょう。英国を構成する他のウェールズ、北アイルランドでも同様に自治の拡大が進み、英国は4つの意思を持つ国家からなる文字通りの連合王国となるのでしょう。心配なのはイングランドの国民の不満が高まる事ではないしょうか。他の構成国はそれぞれ独自の議会を持ち、更に同時に英国国民でもありますのでイングランド国民と同じように同じ一人として英国議会にも発言権を持つ事になりますが、イングランド議会というものは存在しないのでイングランド国民だけが自治権を有しない事になります、全体の80パーセントを超える多数派なのだから我慢しなさいという事でしょうが、他の構成国の主張が今後先鋭化し我儘が限界に達し、納得出来ない人が増えて来るのではないでしょうか、この点は多少心配です。イングランド至上主義的な政党が力を増して政治状況が一層複雑になるかも知れません。今後は常に分裂の危機をはらみながらの政治運営となり、内部に不安を抱えては世界に国家としての威厳を今まで通り示すことは難しくなると思います。

日本ではこの国の事を幕末に英語を意味するポルトガル語のイングレーズから転じてイギリスと称していますが、イングランドと似てはいますが異なるのでイギリスを連合王国全体を指し示す言葉として使えるのは良かったと思います、英国という言い方も同様ですね。小さい時から当たり前のように見ていた国旗・ユニオンジャック、以前からこれは構成国の旗を重ね合わせたものである事は知識として知っていましたが良く出来たデザインの旗で忘れていました、万一スコットランドが独立するような事態になるとこの旗から青色が無くなり何ともみすぼらしい旗になってしまいます、やはりスコットランドは英国に留まる方が世界の安定、平和為には良いのかも知れません。ただ今回の有権者は16歳以上と若い層も投票に参加する事になっており、若い層の多くがまとまって賛成に投票する場合にはより拮抗した結果になるでしょう。女性そして高齢者、高所得層、企業経営者等は反対に票を投じる人が多いことでしょう、大きな変革を望まない「臆病のノー」という人も多いでしょう。個人的にはケベックと時と同じような結果、51:49くらいの僅差で反対が上回るとみています。有権者は400万人余り、態度を決めていない人も一割は居ると言います、いずれにしても数万票の差で決まると思います。数日で結果が出ますがスコットランドの人達が最終的にどのような判断を下すのか世界中の人が注目しています。

今後ですが残留の場合にはロンドンでは馬鹿なお祭りは終わったとして何事も無かったように振る舞う事でしょう。基本的には何も変化は無く、近い将来においての独立の可能性が無くなるので安定に向かうはずですが、スコットランドに対して将来にわたってリスクがあることを示してしまいましたのでイングランドの資本等は静かに引き上げて行く事でしょう。街にはスコットランドの旗が大量に残りそのまま掲げられるようになり、一層独自性を誇示する事になるのでしょう。イングランドに対するライバル心は一層大きくなり特に若年層では将来の独立に向けて動き出す人も出て来る事でしょう。国外では自分は英国人だとは言わずにスコットランド人であると言う人が多くなり国内の中の国のようになり、一体化は難しく常に独立問題を抱えながら進む事になるのだと思います。

賛成派が勝利した場合には世界でスコットランドブームが沸き起こり、独立に向けての動きが逐一報道される事でしょう。この場合、英国政府側は悪役ですので余り圧力をかける事は出来ず新政府との交渉はスコットランドペースになると想像します。先進国の新国家は今までに無い出来事であり、大ブリテン島という地理的な魅力もあり世界の新興マネーが流れ込んで来る事でしょう。独立のイベントを目当てに多くの観光客が訪問するようになり、今まではロンドン見物のおまけであったスコットランドは一躍世界で最もホットな観光地に変貌することでしょう。ハリーポッターランドのような観光地も出来、文化、ウィスキーと主に多くの人で賑わいホットな場所となる事でしょう。対照的に英国は没落した国家との烙印を押され、政治は責任問題から混乱しイングランドの人は自信喪失するような事態も想定されます、ウェールズ、北アイルランドも分離の方向に動き英国が解体の方向に向かってしまうと想像します。


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世界80ヶ国以上、一万店舗以上を有する世界屈指のピザチェーン「ドミノ・ピザ」が今年1月に開店しました。場所はマリスカルロペス通り、イーペル・セイスの近くで、近くにはライバルのピザハットがあります。店内は米国のマイアミ下町のようで今まで進出して来たチェーン店が高級感を出していたのに対して「庶民的」なのが印象です。庶民が気軽に来て楽しめる雰囲気を出しています。大きめのピザで6万グアラニ(約1200円)です日本ですと大体同じサイズのシンプルなもので2500円くらいしているようですのでそれよりは多少安いという感じです。同じ店内にバーガーキングがあり、食べるスペースは共用になっています。

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日本からパラグアイを訪問される方で意外と思われるのが物価です。口を揃えて「想像していたよりも高い」とおっしゃいます。確かに昔は世界一物価の安い首都と言われており日本から来られた方と一緒に食事をするとその安さに驚かれたものです。一緒に外食に行きますと「日本では家族で食事に行く代金一回でビデオデッキが買える」というような話をされこちらが驚いたものです。反面ドル価格で取引される物品、自動車などは中古を含めて結構な値段していましたので高いという印象でした。

為替の変化と政府発表のインフレ率を並べてみました。多分他の国でも同じであると思うのですが多少抑え気味になっていて庶民感覚からみますともう少し高いように感じます。その小さ目な発表の数字を用いてこの15年のインフレと為替を比較した表を作成してみました。インフレ累計が250%近く要するに2.5倍になっているのに対して為替がほとんど変動していない事が分かります。ドルで考えると物価が2.5倍に上昇したという事です。日本の円はこの間ドルに対して円安に動き、インフレは限りなくゼロに近い状況が続いています。簡単言いますと日本の物価と比較して約3倍になったと言えます。パラグアイのインフレ統計の中でドル建ての大型耐久消費財、たとえば自動車等はほとんど上昇していないので生活実感は統計の数字以上のものがあるように思います。

外食を例にとりますと現在一般的なブラジル風焼き肉レストランでは一人10万グアラニが普通になっています。少し良いレストランに行きますと一人20万グアラニは覚悟する必要があります。20万グアラニと言いますと現在の為替レートでは5千円を超える額となります、正直食べ物の内容は両国で異なりますが現在では日本の方がかなりお得という印象です。昨年DVDの再生機を買いに行きましたがソニーの製品が50ドルと言うのです、これはグアラニでは20万グアラニ、普通のレストランで二人で食事する値段でした。パラグアイでも食事一回でDVDデッキが買える状況となっていました。ただ自動車に関しては価格設定がドル建てであるのと競争によって価格が下がり安くなっているという印象です。見栄っ張りな国民性のパラグアイ人は高級車が大好きなようで街に溢れる状況となっています。

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パラグアイで生活をしていて生活レベルの高い人はパーティーが大好きで豪邸に住み大きな自動車に乗り豪華な生活をしています。バカンスはマイアミにというのが富裕層の人の感覚です。何でも全てが米国が理想、留学も出来れば米国の大学に行きたいと考えている人が多いのは確かです。何故なのか余り理解出来なかったのですが、あるパラグアイ生まれの人からこれは「パラグアイ人はハリウッド映画の生活を理想としているからだ」というのです。日本など自国で映画やドラマを制作している国ではテレビや映画等に出て来る生活は現実離れしている場合が多く、実際に日常というのは映画のようでは無く地味で同じような毎日の繰り返しで在る事を理解しているものですが、パラグアイでは自国でドラマや映画がほとんど制作されず、たまに出て来てもマーケットに住む貧困層が主人公というようなもので憧れを抱くような世界を描いてはいません。

パラグアイの富裕層はハリウッドの映画を見て育ち楽しく、明るく、豪華なアメリカンライフに憧れを抱くようになり、映画の中の世界を実現する事に意欲的であるというのです。確かに米国の一部の富裕層そして映画俳優、スポーツ選手などは高額な所得を得てビバリーヒルズなどに住み豪華なパーティーを頻繁に開催するような暮らしをしているのかも知れませんが、多分大多数の米国人は多くの日本人と同様に質素に同じような毎日が続く日常が続く暮らしていると思いますがそこは余り理解していないようなのです。言われてみますとパラグアイ富裕層のパーティーは映画のようで、豪華なものになりますと映画を超えるとと感じる事もあります。豪華なパーティーを行って休暇は豪華なクルーザーで楽しんでいるという生活を理想としているようなのでしょう、従ってパラグアイ人のフェイスブックはパーティーの様子で溢れています。

米国で暮らしたい、米国の大学に行きたいと言っているのもハリウッド映画の中の世界で暮らせると考えているからのようです。実際に行きますと想像とはかなり異なる現実にぶつかりますが見えっ張りな多くのパラグアイ人は自国に留まっている友人達には如何に映画のようなアメリカンライフを楽しんでいるかという情報を発信し、なかなか実際の生活が見えて来ないというのです。しかしながら先進国に憧れている、米国に劣等感を持っているのでは無いと思います。日本において戦後テレビで米国のホームドラマを見て日本人はその豊かなライフスタイルに驚き自分達の生活水準を引き上げる事に熱心であったようにもっと単純にアメリカンライフを実践しようとしているのだと思います。

大きな問題としては欧州や日本が理解されていないことが挙げられます。パラグアイのテレビでは米国の映画・ドラマが中心で欧州や日本の情報はほとんどありません。日本に関してはハリウッドの映画に出て来る珍奇で変な国という印象しかないでしょうし、欧州ですら米国の欧州観、例えば英仏独などは古臭くて気難しい人達というイメージが固定している事です。パラグアイでは教育が重要と叫ばれていますが世界に関して実態をしっかりと教えて行く事は難しいでしょうが大切な事で在ると思います。

パラグアイについて考える

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1993年から本格的な民主的な方法で選ぶ大統領選挙が行われるようになり、5年毎に党内候補選び、連立を組むかどうかなど半年前から国民の大きな関心事となり、色々なドラマがあり、盛り上がりを見せていたのですが、今回は様相がかなり異なります。前回の選挙では内部抗争で自滅した赤党は今回はまとまりを見せて早くから候補を一本化し、オラシオ・カルテス氏を大統領候補とし万全の体制をひいています。与党の青党は政権に就いてからの半年間、無難に切り抜けて来ましたが、青党だけの力では赤党に対抗するだけの力は無いように見えます。エフライン・アレグレ元労働相を大統領候補として選出し選挙運動を行っていますがどこまで支持を伸ばせるか注目されています。オビエド党(ウナセ)は常に大統領選挙において台風の目となっていたオビエド氏を大統領候補として擁立する事を決め選挙活動を行っていましたが、ヘリコプターの墜落事故で死亡してしまいました。オビエド氏あってのウナセなので急速に求心力を失ってしまいました。ルゴ氏を支持する人達は貧困層を中心に結集を図かり、フエルテ・グアスなる政治組織を作り活動していますが、前回のような盛り上がりは無いようです。

このような状況で、赤党の候補であるオラシオ・カルテス氏が断然優勢との見方が有力です。与党のエフライン・アレグレ氏がこれに続いていると見られています。各種世論調査では結構拮抗しており、オラシオ・カルテス氏がそのまま当選するのかエフライン・アレグレ氏等の対立候補が追い上げを見せる事が出来るのか注目しています。

今度ファイスブックを開始しました。グループという機能があり早速登録しパラグアイのグループを創設しました。現在まで100人を超す参加者がありました。閉塞感が漂う日本で日本からの引越しを考える方が多い事に驚きました。人気のカナダ、オーストラリア、米国、東南アジアと併せてまだ少数派なのかも知れませんが南米が注目され、パラグアイに関心が持たれているのでしょう。


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今まで全く関心がなかったのでアスンシオン市でこのような世界があることを知りませんでした。レストラン広島の直ぐ近くでこのような興行が行われているとは驚きました。この格闘技は何でもあり、目を攻撃する、股間を攻撃すること以外はほとんど認められているのだそうで、最初はボクシングのように始まり後は蹴る、投げ飛ばす何でもありで相手がギブアップするまで続けるのだそうです。平田さんの長男・真之さんのパラグアイでのデビュー戦、本来60キロ級というという事で調整をしていたのだそうですが、試合直前に相手は65キロ級という事で少々大きな相手との対戦となりました。お父さんの話では何とか倒して寝技に持ち込めれば勝てるという事でした。作戦通り寝技に持ち込み最後は関節技で勝利しました。下記のページに詳細を掲載いたしましたのでご覧下さい。


http://www.geocities.jp/asuncionpy2002/kakutougi-001.html




新政権は周辺国の厳しい反応に手を焼いています。国民多くの本音はルゴ氏が大統領職から退いてほっとしているというものでしょうが、南米の周辺国はこれを認めてしますとそれぞれの国で今まで築いて来た大統領への権限を著しく損なうとして反発しています。パラグアイの民主主義がまだまだ未成熟で政治に不慣れな者を選択してしまう段階にある、他の南米諸国では経験して乗り越えて来た段階に未だに留まっている事が要因でしょう。民主主義の定着には苦い経験する時間が必要なのでしょう。ブラジルでは1992年にコロール大統領が弾劾されましたが休職中に辞任して政権交代が実現しています。弾劾が確定した時点で自らルゴ氏が辞任すればここまで騒ぎにはならなかったでしょう。周辺国は手続きを問題視しており、ルゴ氏を積極的に支持している訳では無く、同じような事が自国で起きる事を懸念しているのでしょう。これを受けてルゴ氏は国際社会が自分を支持しているとして表に出て自身の正当性を主張しており更に混乱を深めるのでは無いかとの懸念が広がっています。パラグアイに住むブラジル人はブラジル政府に対してフランコ新政権を支持するよう要請しているようですが、パラグアイの生命線と言われるパラグアイ川の航行を止められる事態も想定されフランコ政権は最初から厳しい対応を迫られています。ここを乗り切れるのか手腕が試されています。

なぜ今ルゴ氏を外す必要があったのか任期が来年の8月15日までですので残り1年と2ヶ月しかないので今やらなくても良かったのではないかとも言われています。巷では就任数ヶ月後からルゴ氏はもう持たない辞任するのでは、亡命するのではと囁かれていました。癌が見つかった時には健康上の理由として退陣するのではないかという観測もありました。治安が次第に悪化し北部ではゲリラが活動を行う等一般市民にとっては余り良くない兆候が出ており、大統領選挙と同時に行われる上院・下院議会選挙においても現職の大統領の強みを生かして左翼的な政党が台頭するのでは無いかと心配する人が多く居たのも事実です。

アルゼンチンに続きウルグアイ、ブラジル、チリも大使の引き上げを決めました。ヴェネズエラは石油の供給を停止すると通告しています。メキシコとペルーは自国の大使を呼び寄せ対応を協議するとしています。中南米周辺諸国の反発は新政権の予想を遥かに超えるものであり、対応に苦慮しています。メルコスール議会もクーデターと看做し態度を硬化させています。新政権としては周辺諸国に外交ミッションを派遣したいところですが、周辺諸国の強硬な姿勢を見ていると直ぐに派遣するのは難しいかも知れません。ルゴ氏を支持するしないではなく、今回の議会のやり方自体への批判が広がっています。一ヶ月くらい前に議員が自由に使える政策費を大幅に増額する法律が議会に提出されそれに反対する学生等市民が国会前で抗議を行い取り下げたという事件がありました。国民の議会への不信感、政治への不信感が根底にあり、問題を複雑化しています。来年まで待たずに早急に選挙を行い新たに大統領を選出するように周辺諸国から圧力を掛けられるかも知れません。パラグアイは内陸国であり孤立しては生きていけないだけにどのようにこの事態を解決するのか注目されています。

昼近くにはセントロでは民主主義を求める抗議集会が行われテレビで中継されています。田舎の農民たちでは無くどちらかと言いますとインテリの若者、それに政権が代わると失職する恐れの在る公務員等が中心となりクーデターには反対、独裁反対、民主主義を守れとの主張です。ある者は何故広場前の建物の屋上に狙撃兵を用意していたのか問題視していました、最後は力で抑え込もうとしていたのでは無いかという訳です。要するに筋を通せという主張です。ただアスンシオン市内は平穏で普通の日曜日と何ら変わらない雰囲気です。ルゴ氏は来週アルゼンチンのメンドーサで開催されるメルコスールの首脳会議に出席すると表明しました。また在パラグアイのブラジル人は農場主を中心に土地無し農民の不法占拠に悩んでおり、ブラジル政府に新政権を認めるように嘆願するようです。


昨日の満面の笑顔から一転、窮地に立ち困惑の表情のフランコ大統領の写真が掲載されています。タイトルは「大使が去り、メルコスールへの参加を差し止められパラグアイへの圧力が増している」とあります。週末が終わり明日から平日に戻りますがどのようにこの事態を打開して行くのか、ブラジルは内政には干渉しないという立場なので南米の中心国ブラジルの承認を取り付ける事が一番でしょう。

夜になりセントロなど市内を一周して来ましたが特に変わったような様子も無く何時もの静かな平和な日曜日でした。金曜日には皆の注目が集まっていた国会前の広場には誰もおらず静かでした。ただ唯一人が多く居たのはアルベルディ通りの50メートル程で数百人の人が集まりテレビを通じて議会の不法性を訴えている集会が開催されていたのが唯一の目立った点でした。午前中から夜に至るまで議会に抗議する人達の演説が続いています。


2012年政変(ルゴ大統領からフランコ大統領へ)





ルゴ大統領の弾劾成立によって大統領職を辞任し副大統領であった青党・フェデリコ・フランコ氏が大統領に就任しました。午後7時に宣誓を行い正式に大統領となりました。チャコ地方の開発がパラグアイ発展の鍵となるとチャコ開発の重要性を強調していました。前回の大統領選挙では青党の候補であったのですが、60年間以上続いた赤党の政権に勝つため敢えて聖職者としてクリーンなイメージのルゴを大統領候補にし、自身は副大統領候補となりました。選挙に勝利し4年間、副大統領であったのですが、ルゴは非常に専制的で余り目立つ存在では無く、今年行われる大統領選挙の青党候補の予備選では惨敗しほとんど存在感を示せなくなっていました。今回の政変で久しぶりに多分70年ぶりの青党政権となります。また、非常に親日家でもあります。最初にやらなければならない仕事は近隣諸国との関係で、今回の政変をクーデターと看做している事に対して説明して理解を求める事が必要となります。特に反米左翼的な政権であるボリビア・エバ・モラレス、ヴェネズエラ・ウーゴチャベスを説得するのは大変だと思います。「議会によるクーデター」と非難しています。また青党内で現在は党首でも次期大統領候補でも無いフランコ氏が大統領に就任した事で青党内の立場がどのようになるのかも注目です。

空席となった副大統領に関してはパラグアイの法律で大統領任期5年の内、最初の3年間に空席となった場合には選挙によって選ぶ、残りの2年の時には上下院議員の中から選ぶという規定があるそうで、議員の中から副大統領が選任される事になります。

今回の騒動の根底には一般市民特に大小を問わず農場主、牧場主、起業家等実際にパラグアイ社会を支えている人のルゴ大統領への不満、不信があったのでしょう。政権発足の際にはクリーンなイメージで登場し赤党の賄賂にまみれた不正だらけ、私利私欲に走る政治に対してこれを刷新して欲しいと国民が強く願い、私利私欲の無い聖職者として登場したルゴに託したのでしょう。実際に大統領に就任してみますと、政治未経験なので当然なのですが、就任直後から一般的な常識、特に一番肝心な国家とは何か、国家元首というのは何をしなければならないのか全く理解していない事を露呈してしまいました。国民の生命と財産を守る事が一番の責務である事を理解していなかったようです。政治経験が全くないので外交、経済に関して素人であり、実際には政治の采配を振るうことは出来ない事が直ぐに分かりました。周囲の人はとにかく祭り上げて好きなだけ外国に旅行させ、大事な決定をさせないようにしていたようにさえ見えます。この3年半で75回外国に出掛けたそうです。一番の支持基盤は貧困地帯の貧困層であったので上に国全体の立場から政治を行う感覚が不足していたようにも見えます。ただ確かに今まではほとんど目を向けられなかった貧困層に対して老人に生活助成金を渡す等目を向け改善に向けて着手したのは事実であり、その点は評価されても良いでしょう。

サンペドロ県で聖職者をしていた時代にはその職務にはあってはならない事ですが教会の掃除婦等その辺の女性と手当たり次第に関係を持ち分かっているだけでも数名の子供を有しています、お母さんは全部別です。これでは道徳的も不合格と多くの国民は思っていた事でしょう、普通の国家であればこれだけでモラルの点で国家元首を辞任するでしょう。豪華な自動車を買い、専用の飛行機を買いと自分の為に多くの金を使い、批判を受けていました。一番の問題は治安の事でルゴ政権の間、土地無し農民は大統領の支援があると考え、次第に行動が大胆になって来ました。左翼ゲリラ組織とも繋がりを得たようで武装し反社会的になって来ました。裁判所の決定を伝え、話し合いに来た丸腰の警官の代表を取り囲んで殺害するという暴挙に対してあたかもこれらの無頼漢の犯罪者を擁護するような態度を見せた事により本当にパラグアイを支えている中上級層の人からレッドカードを出され、それぞれが知り合いの議員に働き掛け超党派で静かにルゴ排除を準備し一気に実行に移したのでしょう。かなり以前から連立を組む青党は邪魔な大統領を排斥するチャンスを探していたように見えますが、赤党はみすみす青党に政権が移る事を良しとせず弾劾にまでは至らない状況が長く続いていました。警官殺害を見て大牧場主等赤党を支えている人もルゴでは治安はますます悪くなる考え、見切りをつけたのでしょう。

ルゴはこれに対して盟友のエクアドル・コレア大統領、ヴェネズエラ・チャベス大統領、ボリビア・モラーレス大統領等南米の各国に正当な選挙で選出された大統領を排除するのはこれはクーデターであると訴え、また最大の支持層である貧困農民層に議会に抗議するよう働き掛けたのでしょう。議会の手際の良さはたいしたものですが、これにはルゴ排除に対する国民大多数の暗黙の支持があったからでしょう。大統領が正式に交代しますとアスンシオンに来ていたルゴ支持の2500人程度の貧困層の農民は完全に孤立し、市民からは厄介者扱いされ市内の他の公園に集められましたが、アスンシオンに支援者が居るはずも無いので泊まる所も食事も無いまま寒い中一夜を過ごしたようです。土曜日の昼近くになりようやく食事が差し入れられ帰るバスが用意され帰って行きました。テレビでこの人達にインタビューをしていましたが、その話に拠りますと僅かなお金が与えられてアスンシオンに来たようでどうやら強い信念があって来たのではなさそうです。多少のお金を貰ってアスンシオン行きのバスが用意されてそれに乗ったという訳です。要するに金で動員されたという訳です。

2012年政変(ルゴ大統領からフランコ大統領へ)

桟橋からの滝の景色は本当に綺麗で、どんな人も素敵な写真を撮る事が出来ます。しぶきを浴び、滝の落ちる水の轟音を聞きながらの滝の中の散歩は本当に素晴らしいものです。

下流側を見ますと滝が連なっているのが分かります。目の前で豪快に水が落ちて行きます。

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http://www.geocities.jp/yguazubrpy/index.html





世界一の滝イグアス、昔ここを訪れたルーズベルト大統領夫人が「ああ、私のかわいそうなナイアガラ」と言ったそうです。ここは北米のナイアガラの滝、アフリカのヴィクトリアの滝と並び世界3大瀑布に数えられています。(ヴィクトリアは良く知りませんが、学生時代に訪問したナイアガラの滝よりは数段規模が大きいように思います。イグアスの滝は大河「ラプラタ河」の本流である「パラナ川」の支流「イグアス川」にあります。イグアス川はブラジル、アルゼンチンの国境となっていてパラナ川との合流地点から約15キロ溯った地点にあります。(この合流地点がパラグアイ、ブラジル、アルゼンチン3国・国境となります。)元々はこの二つの川の合流地点が滝であったそうですが、長い期間の侵食で滝が後退して、現在では約15キロ上流になっているそうです。今でも毎日侵食は続いており、一年に約3ミリづつ後退しているのだそうです。滝は8割がアルゼンチン領、残りの2割がブラジル領に在ります。ブラジル側には約2キロ程の遊歩道があり、これに沿って歩くとアルゼンチン側が見渡せます。滝を遠くから全景を見渡す事が出来ます。

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イグアスに行こう・サイトへのリンク


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1・日曜雑貨
日本の風呂用品特に網状の体を洗うタオル
洗濯する際に靴下等小物を入れる網状の袋
歯ブラシ・特に先が小さく硬いもの
ベビー綿棒(当地の綿棒は大きい)
歯磨き粉:普通のものは売っているが「つぶ塩」のようなチューブ入りは無い
香取線香(当地にもあるが日本のものは品質が違う)
化粧水(液体なので注意)

2・文房具
普通の鉛筆:南米の鉛筆は品質に問題。
シャープペンシル(特に太めの0.7、0.9:当地でも売っているが性能に問題、芯は売っている)
ホッチキス(当地のは大型で使い難い:針は売っている)
消しゴム(特に大きいのが良いでしょう。):当地の消しゴムは消えません。
ファイル(名刺入れなどの特別なもの)
A4の薄いノート:こちらのは厚めのものしか無い
この他日本の文具のレベルは高いので便利だと思ったものは持参されると良いでしょう。

3・衣類
下着類
靴下
スーツ・ワイシャツ(青山などで購入すると良いでしょう)
革靴:日本人の足は幅広なので当地の靴だと合わない

4・薬品
整腸剤(ビオフェルミン、正露丸など)
目薬(Vロートなど)
虫除けスプレー
ムヒ(スッティク状):これは土産にしても喜ばれるでしょう。
お部屋の4角にチュッとするだけで蚊に刺されない空間を作るスプレー(アース製薬):これは土産にしても喜ばれるでしょう。
サロンバス
オロナイン、キンカン
冷却ジェルシート

5・食品
缶や瓶に入っているものは出来るだけ避ける。液体は無理。量販店で売っている業務用の大きなアルミ袋に入っているものが良いでしょう。
(出来れば業務用)
昆布茶
中華あじ
ほんだし・昆布味:普通のほんだしは売っている。昆布味があると鍋物に使える。
カレー粉:ルーは嵩張るのでカレー粉を持参して料理すると良いでしょう。
杏仁豆腐の素
海苔(普通のもの・味付け海苔)
抹茶(飲むのにも、アイスクリームにも)
昆布(嵩張らない、持つのである程度持参すると良いでしょう)

袋入りのインスタント食品
たらこスパゲッティの素
麻婆茄子の素
浅漬けの素、漬物の素
ふりかけ・お茶漬けの素(売っていますが、種類は少なく高いです)
など

6・日本人・日系人へのお土産
普通にスーパーで売っている菓子や上記のようなインスタント食品など上記のものを参考にしていただければ良いでしょう。

※ よくお土産でいただくもの:虎屋の羊羹、日本茶、わさび漬け、高級和菓子(入れ物が大きく中身が少ない)、佃煮など
これはこれで嬉しいのですが、もっと実質本位のものが喜ばれると思います。

雑誌・漫画:成田の書店で週刊誌(週間ポスト、現代、、新潮、文春、アサヒ芸能、大衆、サピオ、など)、漫画雑誌(ビックコミックなど)を旅行中に読みそのまま日本人一世に渡すと喜ばれます。(これは嬉しいです)

ムヒ(スティック)や蚊取り線香なども良いでしょう。


参考・当地で手に入る日本食
インスタントラーメン、カップ麺(ブラジル製の日清、韓国製が多く出回っている)
日本米、豆腐、納豆、油揚げ、塩辛、味噌、醤油、さつま揚げ、こんにゃく(パラグアイで作っている)
日本で売っているような野菜(長ネギ、白菜、もやし、茄子、大根、ごぼう、茗荷、など)簡単に手に入ります。
日本酒、みりん、海苔の佃煮、米酢、ほんだしなどはブラジル製があり、それほどは高くないです。(酒、みりんなどはブラジルで三菱系の東山農事が作っています。)
せんべい、ふりかけ、お茶漬けの素、カレールー、つゆの素、等は日本製がありますが高いです。(永谷園お茶漬けとステーキ一枚が同じ値段)
そば、素麺、たくあんなどは韓国製がそれほど高くなく手に入ります。
日本のものではありませんが、肉まん、あんまんは中国人が作っています。(個人的に好きなのでよく食べます。)
うどんは売っていませんが、イタリア料理用の生麺は普通に「うどん」として使えます。
なお、割り箸:たくさんあります。普段使う塗り箸、客用の箸は持って来る方が良いでしょう。

電化製品
ほとんどの電化製品(電気釜、電気プレート、ポット等)は売られています。



http://www.geocities.jp/paraguayooit/tabi-003.html











高度成長、バブルの景気など日本経済は終戦後から1990年くらいまでオイルショックなど多少の経済後退期はありましたが、右肩上がりで成長し、米欧日の3極で世界経済が回っていた時代が長く続いていました。その後、経済が伸び悩み、それでもまた再度経済は成長すると考えていた人も居ましたが最近になり、財政の悪化し、現行の年金制度・医療福祉制度を維持するのも難しくなって来ている、少子高齢化が今後も少なくとも50年近くは進行し事態は悪化して行く、放射能の影響、電力不足、国際競争力の減退、食料・エネルギー不足への不安、新たな地震、火山の噴火への心配など多くの不安定要因を抱えて長期的な展望が見えない状況となっています。勿論個人レベルではしっかりと日本社会で伸びて行き将来に不安は無いと感じている方も居るでしょうが客観的に日本の置かれている現状を見ていますと将来に対して不安な想いを持っている方が次第に増えているのではないかと想像します。

このような状況の中、色々な形で日本を出て外国に住む人が増えているように見えます。外国で働く駐在員は減る傾向にありますが、全体としては外国に住む長期滞在者・永住者は増えているようで、日本からの派遣では無い、地元に根差した引っ越しが多くなっているものと推測します。引っ越しの内容は色々でしょう、大学等に留学の方、旅行を兼ねての長期滞在、外籠り、熟年の方のシルバー移住、そして働いて生活する本格的な引っ越し(移住)と様々でしょう。日本では「移住」という言葉に特別な意味があるように感じます。「思い切って日本を捨てて外国に骨を埋める」というような悲壮感が漂います。外国に住む、住む場所を日本国外に移す事を「移住」と捉えるのでは無く「引っ越し」と考えてみては如何でしょうか?「海外雄飛」などと言う時がありますが、日本での普通の市民が突然新しい土地で飛躍するというのは少々おかしな話で引っ越し先でも今までと同じような普通の市民となるだけだと思います。勿論引っ越した国で成功を収めて輝く方も居ますがそれは日本に居ても大きな成功を成し遂げる人も居る訳であり、何も「外国だから」では無いはずです。

さて、引っ越し先として日本の方に人気があるのがカナダ、米国、オーストラリア、ニュージーランド等の白人が主体の英語の国、そしてフィリピン、シンガポール、タイ、マレーシア、香港などの東南アジアでしょう。多くの方が希望する白人英語圏は永住査証、労働許可を取得に関しては特殊な技能、知識を有していないとなかなか難しく、人種的な偏見も根強いと思います。東南アジアは熟年シルバー移住の方には良いかも知れませんが人生これからという働く世代には外国人として生きなければならず日本人相手の商売をするなど仕事も限られてしまうのではないかと思います。若い方には余り向かないようにも見えます。このような国と比較して個人的には南米各国は比較的条件が揃っているので多くの人が希望するのでは無いかと思っていましたが、どうやらどの国も不人気のようです。多くの日本人が何故南米そしてパラグアイに目を向けないのか不思議に思い、機会ある毎に尋ねてますと「遠い」「情報が無い、あってもネガティブ情報ばかりで治安等に問題がある」「多くの移住者を出したが苦労ばかりであった」「貧困で日系人も多くの人が日本に出稼ぎに行っている」「言葉が出来ない」など否定的な意見が多くあるようで、どうやら多くの方にとってパラグアイなどは最初から引っ越し先の対象にはならないようです。

パラグアイは日本との永住協定が健在で条件さえ揃えば比較的簡単に永住査証を得る事が出来ます。労働許可は永住査証があれば不要で永住査証を取得さえ取得すれば一般のパラグアイ人と比較して不利益な事は全く無く、同じ土俵で生活する事が出来ます。その上、心強いのは日系人の存在で全国に約6千人の日本人永住者並びにその子孫が居ます。パラグアイにおける貢献度は大きく日本人である事で普通に生活をしていて差別を受ける事はまずありません。またほとんどの国民が欧州などからの移住者とその子孫なので、日本だからと言って特別な外国人と看做される事無く、社会の普通の構成メンバーと見てくれます。パラグアイは暮らし易い国である事は間違い無いと思います。最近になり、日本人の中にも引っ越し先としてパラグアイに注目する方で少しづつですが、出て来ているように見えます。下見に当地を訪問された方に話を伺うと「情報が無い」とのことを強調されます。また「想像していたのと全く異なる」という意見も多くありました。


パラグアイ引越し情報





毎年1月と7月の2回、パラグアイの日系社会持ち回りで少年野球大会が開催されています。今年は1月の大会がアスンシオンで開催されました。カテゴリーが2つあり、「小学生」が満13歳まで、「少年」が満16歳までとなり、暦年で計算します。今年の大会は少年が1995年1月1日~1997年12月31日まで生まれた子供でそれ以上は上のカテゴリーとなる 「青年」となり、1998年以降に生まれた人は小学生となります。人数が足りない等の理由で小学生カテゴリーの子を少年に入れる事は自由です。

開会式はビジャエリサにあるアスンシオン日本人会グラウンドで午前9時からパウロ・リチャードスポーツ大臣が列席される中開催されました。パラグアイ最大新聞「ABCコロール」においてパラグアイ野球連盟の大会として紹介されました。要するに日系の大会というだけでは無く全パラグアイの野球大会という位置付けです。

地方から来るチームは前日の夜に出発し夜中走り続けてやって着ます。到着すると直ぐに開会式、そして試合とハードな一日ですね。各チームで何語で話をしているのか傍で聞いてみますとアスンシオン、エンカルナシオン都市二チームはスペイン語、移住地のピラポ、ラパス、イグアスは主に日本語、そしてアマンバイはポルトガル語でした。ペドロファンカバジェロではスペイン語よりもむしろポルトガル語が日常語として使用されているのです。また非日系の中国系、現地の普通の方も増えて来ています。

優勝旗を見てみますと贈・岡林洋一とあります。岡林さんはヤクルトで1991年~1994年の間は毎年10勝以上を挙げ、チームのエースとして活躍されました。生まれはイグアス移住地で当地の少年野球で活躍され、14歳の時に高知県に引っ越しをされ、高知商業、専修大学を経てヤクルトに入団されました。1992年は15勝を挙げ西武との日本シリーズでも大活躍、その粘りは「パラグアイ育ち」にあるとされ、テレビの中継では「パラグアイの岡林」とのコメントを受けていました。時にはスペイン語で寝言を言っていたという逸話もあり、同世代には「パラやん」と呼ばれていたそうです。現在はヤクルトのスカウトとして活躍されています。ここに参加している少年たちの大先輩で、この中から第二の岡林が出て来るかも知れませんね。

大会は2日間の日程で行われ、初日の夕食は歓迎会となります。各地から集まった選手、父兄、関係者が一堂に会する大食事会です。初日ビジャ・エリサの日本人会グラウンドを使用したのはここで歓迎会を行う為でもあります。ただ翌日の少年の試合は朝7:30からで、試合が行われている時には既に準備にかからなければなりません。アスンシオンチームの選手の父母だけで準備を行うので本当に大変です。お父さん達はアサードを準備します。通常のアサードを焼く場所だけでは到底足りないのでアサードを焼く器具を幾つも並べての作業です。この日は最高気温が40度近くにまで上昇、その中でのアサードを作りは大変です。

初日はビジャ・エリサに在るアスンシオン日本人会グラウンドで開催されましたが、広さの関係で少年はカピアタにある天理教のグラウンドで開催されました。フェンスもある本格派の球場です。アスンシオン少年チームは選手が10人なので小学生を4名入れています。少年は小学生のカテゴリーでは参加しなかったアマンバイチームも参加し、7チームが2つの組に分かれて戦いました。第一球場ではアスンシオン、ピラポ西、アマンバイの3チーム、第二球場ではラパス、エンカルナシオン、イグアス、ピラポ東の4チームが戦いました。それぞれの勝者が最後に決勝を行いイグアスチームが優勝を飾りました。

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(写真)アスンシオン少年チーム


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(写真)アスンシオン少年チームの攻撃

少年野球・アスンシオンチーム






以前はアスンシオン・セントロに日本人向けのカラオケ店が数軒あり、日本人・日系人が夜くつろぐ場所として賑わっていましたが「紅とんぼ」が閉店して以来、そのような場所はありませんでした。スーパーマーケット「グアラニ」を経営されている山本さんがスーパーの奥にカラオケとファーストフードの店を開店されました。現在は木・金・土の週末三日間だけの営業ですが、団体として要望があれば他の日でも店を開ける事は可能なのだそうです。

スーパーマーケット・グアラニの奥、道を挟んで反対側に建物があります。下はファーストフード「なおみ」、上はカラオケ「ゆき」となっています。建物の奥の方はスーパーマーケットの事務所・倉庫などに利用されているようです。敷地は大きく駐車場も大きくとってあります。

1階のファーストフードは昼時にはかなりの混雑となるそうです。外には日替わり定食(11:30~15:00)が7千グアラニという看板がありました。日本円に換算しますと約150円ですね。2階は広いカラオケになっています。現在日本で主流となっている個室方式では無く、伝統的な広いサロンがあるタイプです。バー仕立てになっており酒類も提供していますが、山本さんは「家族で楽しんで欲しい」との事で大人だけでは無く子供も気軽に来られるスペースにしたいそうです。


カラオケ「ゆき」・ファーストフード「なおみ」



ボケロン県はチャコ地方の奥に位置するボリビアとの国境の県です。国土の60パーセントを占めるパラグアイ川の西側、西パラグアイ(チャコ)は行政的には僅か3つの県に分けられています。トランスチャコと呼ばれるボリビアまで通じる道路の奥の方がボケロン県で約2千人くらいの町が3つ(フィラデルフィア、ロマ・プラタ、ノイランド)あり、残りは広大な大地となっています。その中で行政の中心となり県庁舎、裁判所などがあるのがフィラデルフィアです。

同じメノニータなのですが、ロマ・プラタがカナダからの移住者を中心として作られたのに対してフィラデルフィアはソビエト連邦からの移住者を中心として1920年代に建設されました。ロマ・プラタと同様に共同組合(フェルンヘイム)が全ての土地を所有し、生産物を一括して取り扱っています。ロマ・プラタが商業の町に対してフィラデルフィアはボケロン県の県庁や裁判所があり、政治の町と言われています。ただ実質的な中心の共同組合の建物と県庁舎、市庁舎を比較しますと差は歴然としており、この地はパラグアイではありますが、共同組合を中心に動いている事が理解出来ます。

数年前までほとんど舗装が無かったでそうが、最近は舗装が進み中心街は舗装となっています。ただ確かにロマ・プラタと比較しますとメインストリートの商店も少なく静かな印象です。ドイツ系でパラグアイの地方に位置するボケロン県、日本からは余りにも遠い存在ですが、今後の発展余力を考えますと注目して行く必要があるように思います。

舗装されている道は僅かで中心部でもほとんどは土道です。アスンシオン等と比較しますと降水量が少なくこの二ヶ月雨らしい雨は無いそうで自動車が走行しますと埃がものすごいです。中央の公園には機関車などが展示されています。チャコ地方最初の鉄道は1927-28年にはカナダからの移住者を運び1930-32年にはソビエトからの亡命者を運び、1932-35年にはチャコ戦争で多くの兵士を輸送したとあります。


フィラデルフィア(ボケロン県・西パラグアイ・チャコ地方)


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(写真:県庁舎)


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(写真:チャコ地方で最初に走った機関車)




14日に独立の革命が始まり15日の未明に終わったという事で14日と15日の両日が独立記念日になっていますが、その前日13日に街の中心に行きましたが大変な人出でした。パンテオンは綺麗に照明に照らし出され、青、赤など色が変わり非常に綺麗でした。

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パラグアイ独立200周年


イグアスの和太鼓のレベルは相当なものとは聞いていましたが確かに素人の域を超えている印象を受けました。日頃の練習の成果なのでしょう。太鼓を叩く際の重心の低さには驚きました。出し物もバラエティーがあり、獅子舞の他、虎舞、剣舞、傘踊りなど多彩で約二時間近い公演はすばらしいものでした。パラグアイでここまでの域に達しているというのは驚きですね。


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アスンシオンで行われた音楽会











独立記念日は5月15日ですが、革命は5月14日に始まりましたので5月14日もパラグアイの人は特別な日と考え、どこの都市にも「5月14日通り」があります。以前は両日ともに祝日であったそうですが、ストロエスネル時代に祝日の大幅削減が断行され、その際に5月14日は外され、現在は5月15日のみが祝日となっています。今年は独立200周年という特別な年という事もあり、5月14日も今年限りの祝日としようという事になりましたが、今年は14日が土曜日、15日が日曜日に当たり週休2日の働く人にとっては特別な休みは無しという事になるので政府は特別に13日の金曜日を祝日とするよう政令を準備しましたが、むしろ16日(月)を特別の休みにしようという声が多くなり結局16日(月)は特別の休み、要するにハッピーマンデーになりました。

記念式典が挙行される14日、15日を一週間前に控え、7日(土)はセントロでは準備が進められていました。道路の補修、塗装などの作業があちらこちらで進められていました。街では多くの場所で国旗などが飾り付けられ、祝賀ムードが高まって来ています。


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独立200周年








フォルモサ市(FORMOSA)はアルゼンチン東北部に位置するフォルモサ州の州都です。首都ブエノス・アイレスからは千キロ以上離れていますがパラグアイは近く対岸のアルベルディは目の前に見えます。またパラグアイの首都であるアスンシオン市までは直線距離で約100キロほど、陸路で2時間程のところにあります。アスンシオン市から一番近い都会はこのフォルモサ市という事になります。アスンシオンから直線距離ですとコロネル・オビエドやビジャリカより近い位置にあります。人口は20万人を少し超える程度ですが、なかなか賑やかな都市らしい街です。ただ、広々とした平地にあり、拡大する余地が幾らでもある為に市街地は人口の割には広く、またほとんど高い建物もありません。日本から離れており、旅行するにも情報も無い、特に目立つ名所も無いので訪問する人も少ないようです。実際に訪問しますと活気があり、安全で面白い都市でです、長期に南米を旅行する際にはアスンシオンからもしくはアスンシオンへ向かう際に立ち寄ると良いでしょう。パラグアイ特にアスンシオン市に住んでいる方、アスンシオンを訪問する方には1泊2日で行けますので是非訪問して欲しいものですね。

夜のコスタネラ(河岸)は多くの人で賑わいます。

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パラグアイとアルゼンチンの国境は基本的にはピルコマヨ川ですが、河口付近では真っ直ぐな本流では無く旧河川が国境となっており、蛇行した国境線となっています。現在は小川となっているこの川を挟みパラグアイ側はナナワという人口5千程の町になっており、クロリンダにくっついているように存在しています。

ここには敢えて自動車が通行出来る橋を架けずに歩行者のみが通行出来る橋を架けているだけで自動車で行く場合には大きく迂回して行く必要があります。クロリンダ市のセントロからアスンシオン市の大統領府までは僅か7キロですがアスンシオン市から自動車で行く場合には大きく迂回して50キロ近くを走行しなけば行けないようになっています。自動車で越境する場合にはアルゼンチンの国境検査は厳しく時間がかかり、実際にアスンシオン市からクロリンダ市まで自動車で行く場合には2時間近くかかります。将来アルゼンチンとパラグアイの往来に関して自由度が増し、橋でも架かりますとクロリンダはアスンシオンの都市圏として大発展を遂げる可能性を秘めています。

写真は手前がアルゼンチン側、小川の向こうはパラグアイ側

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クロリンダ市(フォルモサ州)






世界各地にある「ワールド・トレード・センター」をアスンシオンに建設する計画が具体化し、プロジェクトの紹介がアスンシオン市内でルゴ大統領、フランコ副大統領、サマニエゴアスンシオン市長などが出席して開催されました。

計画は大手ディベロッパーである「ゴンサレス・アコスタ社」が中心となりショッピング・デル・ソルの向かいの土地に4棟のオフィスビルを建設するというもので各棟20階建てとし、千台の駐車場スペースを用意するというものです。投資額は5千万ドル、ビルで働く人の数は2千人と予想されています。


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4年目となりすっかり恒例行事という印象の高知県人会館の「よさこいバザー」、都道府県単位では北海道の「どさんこバザー」と共にアスンシオン日系社会の中ですっかり定着した印象があります。定番の焼きそば、ヤキトリ、うどん、巻き寿司、春巻き、餃子、たこやき等の他にサンマ焼きなどもあります。天気にも恵まれ多くの人で賑わっていました。


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会館
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「パラグアイを知るための50章」(明石書店:2011年1月15日初版)の中の35章、48章、49章、50章の4章を担当
35章:パラグアイにおける日系社会(3)現状と展望
48章:歴史的な政権交代(2008年大統領選挙を振り返って)
49章:未来の穀物供給国(継続的な食料供給が可能なパラグアイ)
50章:パラグアイと経済援助(最大の援助国は日本)

この本はパラグアイの一般的な紹介、50章の中の4章を担当しました。この本は歴史に関する章が多い中、当方の担当は主に現代そして未来に繋がる章です。



http://www.geocities.jp/paraguaysaga/masukomi-001.html
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31日木曜日に予定より多少遅れてコンサートが開催されました。場所はフェルナンド・デ・ラ・モラ市の市役所の隣にある会館で市長の決断で無料提供していただいたそうです。フランコ副大統領も家族、スタッフの皆さんと共に来場されました。フランコ副大統領は「日本は確かに遠い国ではあるが今までパラグアイに多大な援助をしてくれた、累計総額では全体の40%から50%にもなる」とパラグアイへの日本の貢献を強調されていました。

全部で20組以上が出演するというパラグアイ・フォルクロ-レ総出演という感じで、一組の持ち時間は10分ということのようでしたが、かなりオーバーするアーチストも居ました。パラグアイ音楽は勿論、マルティン・ポルティージョはアルパで「川の流れのように」そしてアメリカンタは日本語で「世界で一つだけの花」を歌っていました。主催された日下部由美さん、エンリケ・カレーラさん、松木ありささんは開催を決めて僅か10日でのチャリティーコンサートの開催、多くの困難があったと思いますがやり遂げられた事は素晴らしい事であると思います。なお、ここでの義捐金はイグアス移住地で作られた大豆を日本に持って行きそこで豆腐を作りそれを被災者に届けるという事のようです。日本から来られた皆さんは自分達でこの豆腐を被災者に届けたいとの事でした。
出演はアスンシオン市のバレー団と日本からの日下部由美さん・本間さん、そしてソンリサ(エンリケ・カレーラさんと松木ありささん)、石井さんでした。照明などの演出も良く来週の公演に向けて忙しい中皆さんすばらしい演奏を披露されました。

日下部さんと本間さん

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エンリケさん、ありささん、石井さん


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パラグアイに滞在している日本のアルパ奏者の日下部由美さんとエンリケ・カレーラ、松木ありさご夫妻が中心となりチャリティーコンサートが開催される事になりました。


日本の未曾有の大災害に、何かパラグアイで出来ることを、と考えておりましたが、友人に地元の音楽家が多いので、彼らに頼んでチャリティーコンサートを企画して、演奏をお願いすることにしました。同じくアスンシオンに滞在中の日本在住アルパ奏者のエンリケ・カレーラ、松木ありささんが協力を申し出てくださり三人でとにかく頑張ることになりました。あちこち場所を探し回っていましたが、彼らのおかげで、急なことにも関わらず、アスンシオン市の隣、フェルナンド・デ・ラ・モーラ市立劇場を無料で貸していただけることになりました。

日時は3月31日(木)19時から入場料は25000グアラニーを考えています。在パラグアイ日本大使館が義援金の口座をひらいてくれましたので、そちらに収益金の全額を寄付します。昨日三人で友人のアーティストに連絡をとりまくって今現在20組ほどの演奏家(アルパ奏者、歌のグループなど)と司会を無報酬で引き受けてくれる方々が集まりました。あとは当日の運営をお手伝いいただけるボランティアの方、(お金の管理が重要で大変です・・・)照明PAの業者(なるべく安く、できれば無料で)を探しています。

フェルナンド・デ・ラ・モーラ市の市長さんのお話だと1000人は収容できるそうです。高望みかもしれませんが満杯にしたいです。集客が一番の課題なので、是非とも皆さまのご協力をお願いいたします。一人でも多くの方にこちらのコンサートの告知をお願いできますか?またなにぶん外国の土地で不慣れなことぱかりですのでよいアイディアかあれば教えていただければ本当に助かります。
パラグアイの新しいユニフォームのお披露目

今年開催される予定の南米選手権(アメリカ・カップ)を前にパラグアイの新しいユニフォームのお披露目がユニフォームを作り販売しているアディーダスの主催により南米サッカー連盟(コンメボル)行われました。パラグアイは南米選手権で過去2回の優勝があります(1953・ペルー大会・1979年・ホーム&アウェー方式)がありますが、1979年優勝時のメンバーが招待されました。そしてクライマックスは新しいユニフォームの披露で3選手がユニフォームのシャツを着て登場しました。

デザインは当然ながら赤と白の縦のストライプで大きな変化は無く、正直現在のものと何が違うのか分かりませんでした。今年の南米選手権・アルゼンチン大会には日本が招待されていますが、東北関東大震災が起き、返上しようという声もあり、参加が微妙な状況となっているのは気掛かりです。

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http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/4729/sports-3.html

披露は南米サッカー連盟で行われました。

南米サッカー連盟



南米サッカー連盟

南米選手権1979年優勝メンバー


1979年南米選手権優勝メンバー

新しいユニフォーム

新しい代表ユニフォーム















パラグアイ生まれで国籍留保をし日本とパラグアイの両方の国籍を有する上野通明さんが若手音楽家の登竜門とも言えるチャイコフスキー国際コンクールで日本人として初めて、パラグアイ人としても初めて優勝を飾りました。

(上野通明さん略歴)
1995年11月、パラグアイ国アスンシオン市に生まれる。1998年日本に移り、「ヨーヨーマ」が演奏するバッハの曲を見ながらチェロに魅了され、5才より馬場省一先生に師事しチェロを始める。
2001年よりスペイン・バルセロナに在住し、イニアキ・エチェパレ先生に師事。2002年、バルセロナ音楽学校・コルデス・ジュニア・コンクール第2位。
2003年姉二人(ピアノ、バイオリン)とトリオ「プチ・アマデウス」を組み、スペインで開催されたサン・アナスタシ室内樂コンクール第1位、アルジャウ・カタロニア若い演奏家の為のコンクール弦楽器部門第1位、同室内樂部門1位。同年バルセロナで開催された第1回アジアフェスティバルに招かれ参加。
2004年、世界遺産のカタロニア音楽堂にて姉二人とともに「プチ・アマデウス」としてコンサートを開く。 同年7月、日本に活動の場を移し、桐朋学園大学教授、毛利伯郎先生に師事。
2006年、第5回泉の森ジュニア・チェロ・コンクール銀賞( 最高位 )、第22回こども定期演奏会に参加。 2007年、第8回 日本演奏家コンクール第1位。10月、東京サントリー・ホールにて指揮者の大友直人氏による指揮で、東京交響楽団と共演。
2009年6月、韓国で開催された第6回チャイコフスキー・ジュニア・コンクール(チェロ部門)第1位獲得。パラグアイ人として、また、日本人として1位になったのは全部門を通じて初めて。






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パラグアイ人のエリートに対する見方はどのようなものなのでしょう。まず日本の場合を考えてみますと日本人のエリートに対するイメージは多分「一流大学を出て中央官庁もしくは一流企業に勤務いしている人」というようなものでしょう、そこに行けばエリートが集団を作りお互いに競い合いながら高度な業務をこなしているというようなものでしょう。一流大学も一流会社も特に定義があるわけではありませんが、メディアなどを通じてある程度序列化が進み、社会的な勝組と見なされ若い人達はエリートになる事を目指しているのでしょう。昔と比較しますと大分緩和されたとは言え激しい受験競争があるのはエリートを目指す戦いが存在するからなのでしょう。一旦、エリートとなりますと自他ともに意識し、日常の行動にも節度を求められ、毎日を切磋琢磨しながら生きて行くというイメージがあります。このエリートの概念には収入との大きな関連は無く、あくまで社会的な立場が重要であるよに思います。エリートを目指すのは社会的な勝者を目指しているもので、当然社会的な地位が高ければ収入も多くなりますが金銭はどちらかと言いますと副次的なもので、金が目的では無い点が少々特殊なように思います。

パラグアイは貧富の差が大きい国ですので社会的な勝者と敗者がはっきりと分かれていると言えます。金持ちと貧乏という概念は国民誰もがはっきりと持っていますが、エリートと非エリートという概念が無いように見えます。一つにはエリート集団が無い事が挙げられます。大企業が存在しないので雇用されているサラリーマンでエリートという層が存在しません。パラグアイでは激しい受験競争は余り目立ちません、確かにアスンシオン大学医学部のように受験競争が激しい場合はありますが、どちからと言いますとこれは例外であり、私立大学など大体の場合にはそれ程激しい競争はありません。そもそも日本で考えるようなエリート集団が存在しないので目指すモチベーションが無いようです。官庁も日本のような定期採用は無く、どちからと言いますとほとんどが縁故採用という感じですので個々では能力の高い人が居ますが優秀な人が集団を作っているという印象ではありません。これに対して金持ちと貧乏人の差は歴然としていて、大人になるに従い自分がどちらの層に属しているのかはっきりと分かります。都市部と農村部との格差は大きいものがあり、都市の中でも富裕層と貧困層の格差は大きいものがあります。貧困層の多くの人はこれは運の問題で富裕層は楽をして金持ちになっていると考えているように見えます。確かにある程度生まれで将来の所得が決まり、また貧困層の人が富裕層の生活を見る場面は運転手もしくはお手伝いさんというような職業でしょうが、そこでの富裕層の人は確かに楽をしている事でしょう。富裕層の人はそのような人には自分の重要な部分は見せないでしょうし、また見せる必要もないからで主にオフタイムの時間にこのよう人達と一緒に居る事が多いと考えられます。オフタイムしか見ないのでこのような人達は「自分達は一所懸命働いているのに雇用者はぐうたらしている」と考える事でしょう。

ではパラグアイ人に「エリート」というのはどのような人なのか尋ねるとどのような答えが返って来るのでしょう、「大きな牧場と幾つかの企業を所有し、センテナリオのような有名クラブに所属し高級車を数台所有し、ブラジルもしくはウルグアイの海岸に別荘を持ち年に数回はマイアミに出掛ける人」というようなものでしょう。そこには努力して得るものという概念が無く世襲で生れ付き得られるものというイメージがあります、これはエリートでは無く金持ちのイメージでそもそもエリート層というものが存在しないので想像が出来ないというのが正しいのでしょう。不幸にもそのような恵まれた境遇に生まれなかった大多数の人達は不平不満を口にしながら何も努力もせず、神から降って来る幸運をただ待ち、時には政府に文句を付け、「自分達にも何かくれ」と要求を言うだけという事になります。このような意識の人達に何かを与えてもそこから生まれるものは無く余り効果は期待出来ないのかも知れません。その中で向上心のある人は特殊な技能、職種に付き立身出世を目指します。能力の高い人は猛烈に勉強をし、特に優秀な人は本当の意味でのエリートを目指して国外に行くケースもあるようです。また苦学を続け官庁や企業等で能力を発揮し社会の下支えとなっている人も多く居ます、確かに最近はこのような人達がかなり増えて中間層を築き始めているように見えます。また中には自分の不遇な生まれから社会に対する復讐心を抱く人も居て、プラス思考で社会に貢献する事を目指すのでは無く悪徳弁護士や賄賂をせびるような警官になるというケースもあるように見えます。

貧困から抜け出す、社会のレベルを上げて行くにはしっかりとしたエリート集団を築く事が重要なファクターではないかと思います。日本が明治維新以降、発展をを遂げたのは若い人にエリートのイメージを植え付け、努力をすれば誰でもエリートになれると競争をさせた事にあるように思います。明治の高級軍人には外様の藩の人が数多く居ますし、試験を突破すれば誰でも高級官僚の道が開けていました。出自を問わず能力があれば登用する事で日本は発展を遂げて来ました。パラグアイでは人口が増加し経済が大きくなり次第に社会が熟成して来ています。現在育ちつつある中間層がその活躍している企業、官庁の中でエリート集団を形成し、本人達がやりがいを持ち、業務の成果が社会に見える形で示す事が出来、それに伴う安定した収入を得られるようになればモチベーションが出て、若い人の多くの人が勉強をし、社会が活性化するのではないかと期待しています。金持ちになりたいという意識をエリートになりたいという気持ちに変える事が出来れば社会はより活性化するのではないかと期待しています。




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