パラグアイに行こう・ブログ

パラグアイに行こうのブログです。

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パラグアイの人の夢は大パラグアイでしょう。現在は南米の中央に位置しているとは言えアルゼンチン、ブラジルが目立つ中で埋没しており、余り注目されていないパラグアイですが、「南米の元祖」特にラプラタ流域の中心という意識は強く持っているように見えます。大航海時代にスペイン、ポルトガルの人が南米に来た理由は何と言いましても金銀財宝を求めてでしょう。当初は南米に根付く事などは念頭に無くひと山当てる事だけを考えていたと想像します。スペイン領の南部南米の最大の関心事は現在のポトシに在る銀であり、これを求めて多くの人がこの地域にやって来ました。ラプラタというのは銀という意味、そしてアルゼンチンという国号も銀という意味ですので当時の銀を求める想いというのすさまじいものがあった事でしょう。多くの人が銀を求めてラプラタ河を遡り、アスンシオンを拠点にして更に河を上っていったのでしょう。アスンシオン市そしてパラグアイの開発は銀を求めての旅の途中、過程であり入植自体が目的であった訳ではありませんでした。その後ポトシへはペルーから探索していた人が到達してリマ方面に抜けるルートが確立しました。そうなりますとラプラタ流域の拠点は本来の意味を失い取り残される事となり土着化が始まり植民地化が始まります。最初から計画的な入植をした訳ではない地域の開発を目的としたものではなかった訳です。結果的にはパラグアイは現地が進み「パラグアイ人」という意識が強くなって行ったと考えます。


その後周囲との関係は余り芳しくなく、ブラジルからはバンデイランチという開拓者によって領土が侵食されこの為にヴィジャリカのように7回も引っ越しを余儀無くされたケースもあります。約200年前の独立当時は隆盛を誇り南米の先進国として名を馳せていました。更にはナポレオン、ナポレオン三世の影響があり、拡大主義に走りブラジル、アルゼンチンとウルグアイを巡る戦争を行って大敗し領土の半分と国民の多数を失いその後は現在に至るまで南米の小国に甘んじています。北半球全体を舞台にした第二次世界大戦と南米限定の三国戦争と規模の差はありますが、日本の第二次世界大戦とよく似ています。ただ異なる点も多く戦後日本は大いに経済発展を遂げた事に対してパラグアイは沈滞したままです。これは国民の質ややる気という問題よりも国際情勢そして地勢に拠る点が大きいと思います。日本の場合には米ソによる冷戦が始まり日本は米国側の最前線としての役割を担う事となりその為に意図的に米国は支援しまた戦争特需で潤い一気に経済成長を遂げました。これに対してパラグアイはアルゼンチン、ブラジルにとってはやっかいな存在以外の何者でも無く黙って「静かにしておれ」と考えられている存在です。この構図は現在も変化無くパラグアイ人の両国に対する不満に繋がっています。


パラグアイの分岐点となった三国戦争に勝っていればという思いは日本人が第二次世界大戦に対するものとは比較にならないと思います。戦争が勃発する際には双方に言い分があり、一方のみが悪いという事はあり得ないと思います。第二次世界大戦後、極東軍事裁判なるものが開かれて日本側で戦争を推進したとされる人達が戦勝国によって裁かれ死刑にされていますが、これは納得出来ないと考える人が多いのも当然です。まして男性成人の半数以上そして最終局面で大統領が戦死するという異常な事態の中で大敗したパラグアイ人の無念は相当なものがあったと思います。あの三国戦争で買っていれば現在はアルゼンチン、ブラジルと互角に渡り合えたのにという思いは相当残っているように感じます。コンセプシオン市の博物館に中央に飾られている地図があります。古地図にしてはいやに目立つ展示をしていると不思議に思い見ますと何と大パラグアイが描かれた地図でした。三国戦争の前の時代17世紀にパリで印刷されたものですが、三国戦争を戦う際にはこの地図の版図が本来のあるべきパラグアイと頭に入っていたのかも知れません。この地図のパラグアイは南米の中央の大国として存在し、首都のアスンシオン市は国の中央に位置しており、現在のクリチバ以南のブラジル南部三州、ウルグアイ全土そしてブエノスアイレスを含むアルゼンチン全土がパラグアイになっています。国は6つの州で構成されており、「パラグアイ」「グアイラ」「ウルグアイ」「パラナ」「リオ・デ・ラプラタ」などに分かれています。この地図の通りの国が成立していたならばブラジル以上の国力の南米随一の国となっていた事でしょう。パラグアイの人達の儚い夢ですが、現実となっていた可能性もあったと思います。ただこのような国になっていた場合には国の形が全く別のものになっていた事でしょう。どちらが幸せであったのか分かりませんね。






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大きい地図は下記をクリックして下さい。










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倉斗さんご夫妻は約30年前に設計の仕事でアスンシオンとエンカルナシオンに住んでいらっしゃいました。当時セントロ日系の前身に当たる「二世クラブ」の活動を支援された方です。今回は久しぶりのパラグアイ訪問との事で多くのメンバーが集まり歓迎会を開催いたしました。石橋会長が就任されて最初のイベントとなります。

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日曜日の昼に行ってみました。開店して間もなくという事で評判を呼び大混雑でした。もうしばらくしますと少しは空いて来ると思われます。

入口に入りますと待合室となっており、大勢の人が順番を待っていました。世界でこのチェーンがある主な都市を記しています。ロンドン、クアラルンプール、ソウルそして東京の名前もあります。

値段ですが割合と高目に設定されています。ただ味はパラグアイ風にはしていないで多分オリジナルの味に近いものを出しているように感じます。多くのものは米国から持ち込んでいるようです。






http://www.geocities.jp/paraguaykuma/yakitori-html.htm







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テレビ・ワールドバザール21のサイトに掲載されて来ました「いまどき報告」
が打ち切りになるとの通告がありました。

不況の影響がここにも忍び寄っているのですね。毎月投稿し3年間36回の
連載です。最終回は「可能性の高いパラグアイ」と題して経済面を今までの
商工会の歩みに沿って取り上げてみました。

http://www.e384.com/imadoki/29paraguay/paraguay_36.html
最終回(第36回)


http://www.e384.com/imadoki/29paraguay/index.html
目次








パラグアイの人にとってサッカーは生活の一部になっているように見えます。南米全体にサッカーが大好きでサッカー無しでは語れない状況と言えますが、北部ベネズエラ、コロンビアでは野球がありますし、ブラジルではバレー、アルゼンチンではラグビーも盛んで世界的なレベルになっています。ここパラグアイではサッカーだけで他に目立つスポーツと言いますとゴルフ、テニスで時々世界的なプレイヤーが出ますが、これは個人のスポーツであり、特殊な人達のものと言えます。サッカーは国民全体に支持されている唯一のスポーツであり、これ以外の球技は実質的には無いも同然、世界のレベルからはほど遠いのが現状と言えます。

サッカーに関しては以前からある程度の力はありましたが、最近は安定して来ているように見えます。ワールドカップはフランス、日韓、ドイツと3大会連続の出場、これは何でもアルゼンチン、ブラジルに次いで三ヶ国目なのだそうで、快挙と言えます。また、アテネオリンピックではアルゼンチンと共に南米代表として出場し、南米代表の二ヶ国で決勝を競い、銀メダルを獲得しています。実績から見ますとサッカーに関しては世界のトップレベルと言えます。

子供から大人まで集まりますとサッカーに興じます。ある程度の規模の会社になりますとメーデーの日は従業員慰労の日としてアサード(肉料理)を用意して楽しみますが、大体サッカーと一緒に楽しむ事が多いようです。テレビでスポーツと言いますとすなわち「サッカー」という感じです。男の子の多くもサッカーが大好きでサッカー選手になりたいというのが多くの男の子の希望のようです。実際に貧困層が貧乏から抜け出る最大のチャンスと言えます。サッカーのプロは多重構造になっており、一部から地域リーグまであり、多くの若者が夢を追っています。大半は夢のままで終わってしまうのでしょうが、突出した選手は上部リーグに駆け上がり、一部リーグで活躍すればアルゼンチン、ブラジル、メキシコ、更には欧州で活躍する道が開けます。

ワールドカップは国別対抗戦で、ファンが熱狂する大イベントですが、多くの選手やサッカー関係者にとっては選手の品評会でもあります。パラグアイを始め南米の選手の多くはここで活躍して自分の価値を高めて売り込むのが目的となります。チームの勝利よりもまず自分のアピール、南米のチームが実力がありながら負ける時にはチーム内での揉め事が原因の場合が多いのですが、一人が目立ち過ぎるとボールが来なくなり、相手に利する事となり負けてしまうのです。欧州で開催する時に南米が優勝出来ないのは欧州のクラブチームに自分を売り込もうとする気持ちが強くなり過ぎるからなのかも知れませんね。ワールドカップの時にはパラグアイは半分休暇状態になります。欧州で開催される時には大体勤務時間と重なりサッカーが気になって仕事に身が入りません。パラグアイの試合の時には完全に国がストップします。国全体が仕事をストップしてテレビ観戦をします。ただ、仕事をする者にとっては頭の痛い事です。この期間は効率が落ちる事を念頭に入れて仕事の計画を立てる必要があります。

ただサッカーが国民全体から好意を持たれているとは限りません。日本ではサッカーと言いますと洒落たスポーツという印象がありますが、南米では庶民のスポーツという見方が一般的です。表には余り出しませんが、嫌悪感を抱き貧乏人の下品なスポーツと見ている人も少なくありません。また女性で関心を持たない人も多いのが特徴で、あれは男どもの野蛮なスポーツと看做しているようです。それでも全体的にはサッカー一色なので、相手がどこのチームのファンなのか知っている事は重要です。多くは二つの人気チーム「セロ」と「オリンピア」のファンなので、若者が来ますと「セリスタ:セロのサポーター」か「オリンピスタ:オリンピアのサポーター」か聞くようにしています。打ち解けて話をするにはサッカーの話題から話を始めるのが手っ取り早いように感じます。



ある方に「パラグアイで観光はどうですか?」と尋ねられた事があります。個人的には観光産業はこれからは大いに有望だと思っています。ガイドブック等で「パラグアイは何も無いのでのんびり過ごしましょう」とありますが、それもひとつですが、本当に何も無いのでしょうか?これも製品と同じようにニッチ市場を目指せば可能性は大きいと思います。

外国人観光客と言いましても大別して二つに分けられるでしょう。一つはアルゼンチン、チリ、ブラジル等近隣諸国からの観光客そして欧米、日本・韓国等の北半球先進国からの観光客です。数年前までは近隣諸国からの観光客はかなり多く、長期休暇の時期には大型バスで多くの人がやって来ていました。近隣諸国からですと身分証明書だけでパスポートは不要で、気軽に旅行する事が可能であり言葉も同じで国内旅行の延長気分で旅行していると思われます。そしてその際の主な目的は買物でした。ブラジルからは大型バスが何台も連なってエステ市に入っていました。ブラジル国内と比較し魅力的な商品がずっと安く手に入るというので人気がありました。時代は変わり現在は経済のグローバル化が進行してブラジルにも世界から最新の製品が流入しており、商品の価格、品質の差は次第に少なくなり、専門の担ぎ屋さんを別として一般の観光客が買物を目的にパラグアイに来るケースは激減してしまいました。この為にエステ市は街の存続も危ぶまれる状況に追い込まれてしまいました。

先進国からの観光客は個人を別としますと、欧米からのエコツアー等が来るくらいです。具体的には英国・フランス等からチャコ地方のまだ手付かずにそのまま残っている自然を見に来るというものです。コンセプシオン等に数泊して雄大な自然を堪能するというものです。パラグアイ河の上流ボリビアとブラジルの国境付近はパンタナルの一部になっており、交通の便は余り無く行くのは大変でしょうが、そこまで辿り着けば大陸の雄大な自然があるのでしょう。ただ大陸の中央に在るパラグアイ、隣国アルゼンチン、ブラジルにも同じような景色がもっと大きく存在しており、ボリビア・ペルーにはアンデスの美しい山が在り、近隣諸国に対しては比較優位にはなりえません。最近はブラジルからドラード等を目的に釣り客が増えていますが、これも資源に限界があり、これ以上の大きな展開にはなり得ないと思っています。

いわゆる観光地として世界の人に見ていただけるものはかなり限られているのは事実です。ミッションとして有名なイエズス会の町の廃墟がトリニダー等数箇所あり、これは世界遺産にも指定されており、一見の価値はあると思います。しかしながらこれもパラグアイだけというわけでは無く、ブラジル、アルゼンチンの広い範囲に遺跡が残っています。その他に見て興味をひく場所というはほとんどありません。このような理由で余り観光には適していないとして日本からのツアーも無いのが実情です。

それでは何を見に来てもらえるかと言いますと、個人的にはパラグアイそのものだと思っています。レトロで牧歌的、他のラテン諸国とはまた違った雰囲気を味わってもらうのが良いと思っています。エコツアーを始め既成のパターンではどこも比較競争力が乏しくパラグアイに勝てる見込みは無いと思います、それであれば「パラグアイ」らしさを前面に出して行くことで活路を見出すのが上策だと思います。アスンシオン市は買物以外の観光で訪問する人は非常に少なく市内観光バスなどというものもありません。しかし街をあるくだけで初めて来たけれど懐かしいという雰囲気があります。またそこで生活している人を眺めるだけで楽しいものがあります。中内渚さんが街の様子を描いていますが、このような視点で街を歩くのは楽しいと思います。またアスンシオン近郊一日体験ツアーというのはどうでしょうか?アスンシオンでアルパ製作の工房を見学、ルケで金細工を見、アレグアで陶器、サンベルナルディーノで昼食を食べ、カアクペでパラグアイの信仰の中心である寺院を見物しその門前町の土産店を覗き、ピリベブイを経由してイタグアでニャンドゥティの店に立ち寄りアスンシオンに戻るというものです。途中でイタで日本の城を見物するのも良いでしょう。

アスンシオン以外では南部のイタプア県、日本、ドイツ、ウクライナ等の移住者がモザイクのように住んでいるイタプアなども訪問するだけで面白いと思います。ドイツ系のホテルで欧州を味わい、自動車で10分で日本の農協へ、そこからロシア正教の教会を訪問する・・このような事を作られたテーマパークでは無く本物が体験出来るというのは魅力だと思います。

そして北部パラグアイには雄大な景観とレトロな世界が広がっています。道路事情も悪く、バス等の公共交通も十分ではないので、旅行するのには苦労されるでしょうが、それだけの価値はあると思っています。北部を一周している時に頭に浮かぶのは「ここはどこ?今は何時?」という事です。世界の色々な場所を旅行していますが、北部を旅行しますと少なからずカルチャー・ショックを感じます。

アマンバイ県は奇岩が並び、そして3国戦争最後の激戦地となり、マリスカル・ロペスが戦死したセロ・コラ国立公園があります。ペドロ・ファン・カバジェロはブラジル側のポンタ・ポラ市と一体になっており、中心の通りが国境という非常に特殊な街です。国境に慣れていない日本人には奇異な感じがあります。コンセプシオン県は北部パラグアイの中心都市であるコンセプシオン市があります。ここでは牛馬がまだまだ中心であり、舗装道路もほとんど無く、渾然とした市場を見ていますと時間が経つのを忘れてしまいます。またサン・ペドロ県は実に多様性に富んだ県です。国内の人の中ですら「貧しくて何も無い場所」と思っている人が多いようですが、昔ながらの生活をしている地元の人、そしてドイツ系の人達はドイツ語ともオランダ語とも異なる「フリースランド語」なる言語を使って生活しています。宗教上の理由で自動車・テレビ等の機械を拒み、100年前のような生活をしている方達も居ます。このような場所に実際に足を踏み入れますと「本当にこれは現代なのか?そして南米なのか?」と頭が混乱してしまいます。

そして日系に関しては移住地の活用があると思います。ブラジルのホテルでは長期滞在者の為に日帰りツアーを用意しているケースがよくあります。イグアスの滝見物にフォス市(ブラジル)を訪問した観光客を相手にミニ日本体験ツアーというのは如何でしょうか?一日日帰りイグアス移住地観光というもので、イグアス移住地の日本らしさを見物してもらい、レストランで和牛のすき焼きを食べるというようなものです。特に新たな準備をしなくても今のままで十分に日本的ですので、ありのままを見物してもらうという嗜好です。

ただ前提条件としてインフラ整備が必要であると思いますが、それ以前の問題として空港で外国から訪問した人が気持ち良く出来るようにする事が肝要であると思います。税関はたかりの精神を捨て、ハイエナのように群がる荷物運びの連中を排除する事が必要でしょう。初めての国を訪問する時に誰もが不安を抱えるものです。観光局の職員が到着客の案内・世話をするぐらいの姿勢があれば良いでしょう。飛行機が到着してホテルに着くまで快適であればそれだけで国の印象が良くなり、リピターも増えるでしょう。一つのアイデアとして空港に馬車を並べホテルまでタクシーとして利用してもらうというのはどうでしょうか?時間は多分1時間以上はかかるでしょうが、タクシーと同じ料金であれば観光客は喜んで利用すると思います。ちょっとした工夫、アイデアを積み重ねれば魅力溢れる観光地に変身すると思います。

そして法律の整備も大切でしょう。例えば現在日本からですと90日間の観光は査証が要りませんが、留学や長期滞在の査証に関する法令の整備が不十分であると思います。一年そして4~5年の滞在査証を発行すれば長期滞在者やスペイン語等を勉強に来る方にもっと来ていただけるように思います。アルバイトが出来る、就労が可能な短期査証というようなシステムがあれば若者を惹きつける事が出来るのかも知れません。コスタリカのシルバー向けの政策などが参考になると思いますが如何でしょうか?

2008年日系ジャーナル新年号に掲載されました在パラグアイ日本商工会議所・会頭挨拶を転記します。





新年あけましておめでとうございます。皆様にはご健勝で晴れやかな気持ちで新しい年を迎えられましたことと、お慶び申し上げます。

さて、新たな年を迎えるにあたり、最近の会議所の動きを振り返り、今後の活動に関して簡単に述べて参りたいと思います。

2005年、2006年は会議所にとりまして大きな行事がまさに目白押しの状況でした。2005年5月に創立30周年記念式典を挙行し、同年10月には会議所メンバー約十名が大統領訪日に公式随行し「パラグアイ・ビジネスセミナー」を開催、2006年にはジェトロと当地の「パラグアイ国・商工省輸出振興局」(プロ・パラグアイ)等の共催で「ボリビア・パラグアイ・ウルグアイ三カ国展示会」が開催され、会議所自身も一出展者として参加、併せて「ビジネス・セミナー」の第二弾を実施、翌週には「横浜・ワールドビジネスサポートセンター」において「パラグアイ産品展示商談会」が開催され、これに出展し併せてビジネス・セミナーを主催いたしました。また、アスンシオンにて11月2日に移住70周年を記念して行われました秋篠宮殿下奉迎式典では副委員長を務めさせていただき、会議所は物産展示を担当いたしました。

昨年、2007年は年間を通じて特に大きな行事は無く、久しぶりに「通常の年」として腰を据えて活動を行って参りました。月に一度の月例定例会においては各分野の専門家に講師として来ていただき、パラグアイの経済活動に対して色々な側面から学ぶ事が出来ました。幾つか例を挙げますと4月にはコパコ社・PARAWAY NETインターネット部門部長-アルフレード・モレイラ技師にパラグアイのインターネットの現状と将来に関してお話をいただきました。世界的には高速通信が安価で利用出来る状況となっており、インターネットのインフラ整備の遅れ当地への投資に対する阻害要因になっている事は当事者としてもよく認識され、より高速で廉価なサービスを提供出来る様努力されている事がよく理解出来、他の国と比較して多少時間はかかるにしても確実にサービスが向上するものと確信し、安心しました。

また5月には米州開発銀行のプロジェクトで当地に滞在されていました関田宏一氏(中央開発株式会社)に「アスンシオン大都市圏の地下水について」説明していただきました。我々が住んでいるアスンシオン大都市圏で利用しているパティーノ帯水層の水は海に浮かぶ小さな船のようなものでそれを利用してアスンシオンの人達は生活をしている。現在でも収支を取ると地下水として流入する量よりも使用している量が多いので、このまま放置していると近い将来、枯渇、塩水化する恐れが強い、また生活廃水そして医療廃棄物などの有害物質が地下に浸透し地下水の劣化が懸念されるとの事でした。上下水道が充分整備されていない、廃棄物排水の処理が適切に為されていない事が懸念材料であり、今後のアスンシオン大都市圏では大きな問題になって来る事がよく理解出来ました。

また、10月には商工省通商局長ブルーノ・ウグ・デ・ベルモン氏に「パラグアイと日本の通商」についてお話をいただきました。両国の貿易統計そしてメルコスールと日本との貿易統計を独自に解析され、将来的に日本向けに輸出が増える可能性のある産品を指摘していただきました。パラグアイ政府の直接の担当者からの話であり非常に参考となりました。これらの毎月の講演議事録につきましては要旨を弊会議所のウェッブサイトに掲載しておりますので、関心のある方はご覧いただきましたら幸いです。

本年のもう一つの大きな活動して挙げられるのがパラグアイ日系社会の将来について具体的に方策を練り上げて行く事です。2月と8月の2回、日本大学国際関係学部国際文化学科・福井千鶴准教授並びにコンサルタント会社を経営されている前川昌道氏に講演を行っていただきました。お二人は長年ボリビア、コロンビアの日系社会を対象に分析研究をされており、福井先生には「南米日系人専門家養成と現地企業活性化プログラム」、前川さんにはボリビア・サンタクルス州の移住地の聞き取り分析をまとめた「移住地の発展と課題について」に関して講演を行っていただきました。従来の単純な出稼ぎから一歩進め、出来ればIT、通信の分野等今後更に伸びていく分野における専門家となる訓練を日本で働きながら行い、日本から帰国した後、起業出来るようにするべきであるというがその趣旨でパラグアイにおいても実施出来るのか今後の検討課題であると考えております。また、9月には福井先生はゼミで学んでいる日大の学生11名を引率され研修旅行に当地を訪問されました。会議所が受け入れ窓口となり、イグアス移住地、セントロ日系、日系福祉センターの皆様にご協力をいただき、それぞれの場所で若者同士の交流懇談会を開催し意見交換を行いました。日本で普通に生活する若者と当地日系の若者は双方大きな刺激を受けたようで、このような活動を今後も続けて参りたいと考えております。

米国での金融不安からドルへの信頼が揺るぎ、その影響で昨年の後半かつて無い程当地通貨グアラニの対ドル相場が上昇しました。石油が高騰しバイオエネルギーの需要増加で穀物相場が高留まりになっています、また、ブラジルでは大油田が発見され注目されています。これからも今までの常識を覆すこのような予想を超える経済事象が出て来る事でしょう。会議所では出来るだけ広範囲に情報を収集し時代の変化を読み取る努力を続け、また新たな課題に取り組み挑戦を行って参りたいと考えております。なお、ハマナスセンター内に会議所事務局があり、毎日平日の午後(13:30~18:30)桑折久太郎(こおりきゅうたろう)事務局長、井上はな事務局員の2名が勤務しておりますので、相談、問い合わせ等ございましたらお気軽にお訪ね下さい。

本年も引き続き、会議所の活動に対して広く皆様のご理解とご協力、ご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

最後に本年が皆様にとりましてご健康で実り多い良い年になりますことを祈念し、新年のご挨拶とさせていただきます。






ある隣国出身の日系の友人と話をしておりましたところ、「ラテンアメリカの中でもパラグアイは特に男性社会だ」と言うのです。どういうことなのか訊いてみますと「まず未婚の母が多い、男が強いから"孕ませて逃げる"等と言う身勝手な行動が取れ、未婚の母が増えるのさ」という説明です。確かにパラグアイは未婚の母が多く、またそのような人を全く特別視しない風潮があります。そして「エレベーターに乗る時、チリでもブラジルでも近隣諸国であれば、女性を先に乗せるし、下ろすでしょう、パラグアイは全くそのような事は無い」と言うのです。確かにブラジル等では「レディー・ファースト」が徹底しており、女性よりも先に乗ろうものならおばちゃんに睨まれるのは間違いないでしょう。このようなマナーが出来ていないのは南米の田舎者のせいなのかも知れませんが、しかしもしかしたらそれだけでは無いのかも知れません。

アスンシオンで街角にあるお店などを覗いてみますと女性が働いて男性はテレレを飲んでいてサボっているという光景もよく目にします。どうやら女性が働いていて男性はのんびりとしていることには余り抵抗感は無いようです。勉強の面でもどうも同じような傾向があるようで学生、高校生などを見ていましてもさぼって余り勉強しない男性を尻目に頑張る女性が多いように見えます。日系社会も例外ではないようで女性の進学率の方が高いように見えます。これは歴史の影響もあるのかも知れません。130年ほど前の3国戦争で壊滅的な打撃を受け、男性の数が極端に少なくなり、数十年にわたり男性は希少価値である時代が続き、その影響が未だに残っているのかも知れません。一度染み付いた習慣というのはなかなか取れないのでしょう。

その割には他の国のような「殿方の遊び場」というような場所がありません。日本ですと例えば「新宿歌舞伎町」は一大歓楽街、当方などはこの街を歩いていますと、紫やピンクの妖しい光につい惑わされてしまいそうになります。ブラジルの中心都市、リオ、サンパウロにも内容は異なりますが、同じような商売をしているお店が大きな顔で営業をしており、歓楽街を形成しています。これに対してアスンシオンではそのようなお店はまず目にしません。一部に目立つ事無く存在しているのでしょうが、少なくとも歓楽街のような場所は全くありません。外出する場所としては家族もしくはカップルで食事を楽しむような場所で殿方だけでニヤニヤと・・というような光景は全く目にしません。これは本当のところは頑張っている女性が強いからなのかも知れないと思っています。表立って男どもだけで楽しみに行く様な雰囲気ではないのでしょう。





パラグアイにも当然の事ながら外務省があり、独立国家としての外交政策があります。パラグアイの外交政策の基本的な考え方は「時流に乗り、逆らわない」という事のように思います。独立した当初は独自の発展を遂げ南米の雄としてナポレオンのような帝国を目指していました。野望を持つ指導者の元、帝国拡大の為の戦争を起こし、その結果は惨憺たるものでした。戦争には総動員体制で臨み、男性国民の多くは死亡し国家は疲弊してしまいました。ブラジルの軍隊が首都アスンシオンを占領し戦争は終結、国土は半分に削られ、国民の数も激減しました。ここからパラグアイが学んだ事は流れに乗る、両大国との関係を重視して行くというものです。以来アルゼンチンとブラジルの両大国との外交がほとんど全てであり、両国の隙間を縫って生きて行くというのが基本戦略となりました。欧米も日本もその向こうに在る国、伯亜両国のその大きな存在が存在が全てでした。強い方に付く、利益がある方に味方する、経済もその隙を巧みに利用して行くというものでした。

大きな転機はメルコスールの発足です。メルコスールは当初は四カ国でスタートしましたが、基本的にはブラジルとアルゼンチンの同盟です。地理的にこの両国に依存しているパラグアイとウルグアイはこれに追随するしか道が無かったと言えます。ブラジルは自身が南米そのものであり、残りの弱小国家はブラジルに従っていればそれで良いと考えている節があります。統合のコストを支払わすに自国を中心とする経済圏、要するに経済的には他の加盟国の植民地化を狙って来ました。パラグアイでは当然メルコスール反対の動きがありますが、そこは何となく時流に乗ることで凌いで来ました。ここに来て反米的な政権・ベネズエラが加盟し、メルコスールの中身自体が変化しており、必ずしもブラジルの意思だけでは動かない状況となっていますが、これはパラグアイにとっては望ましい事なのかも知れません。

パラグアイの外交の中で目に付くのは台湾の存在です。台湾・中華民国を承認しているのは現在世界で25ヶ国です。アフリカ、太平洋の小島、そして中米・カリブの国がほとんどでパラグアイは南米唯一の国です。ある意味では一番まともな国家なので、台湾政府は大事にしています。数年前に国会議事堂が建て替えられましたが、これも台湾が資金援助しました。国権の最高機関である国会を他国の資金をあてにして建てるというのは如何なものかと思いますが、パラグアイでは「いただけるものは喜んでいただき、使えるものは使いましょう」という姿勢があり、特に問題にはされないようです。台湾政府は国際的な援助のルールを超えて例えば省庁のランニングコストに当たる部分にまで資金援助しています。では何故台湾承認国なのか、という事ですが、歴史的に反共であった事が挙げられると思います。1989年まで続いた独裁的な政権にとっては反共を看板に掲げ、冷戦下で親米をアピールした方が徳であったからだろ思います。冷戦終結と共に独裁的な政権も終わりを告げましたが、現在に至るまで同じ政党が政権を維持しており、基本的な構造には変化がありません。お金を出して支えてくれる国家と断行する事など考えてもいないでしょう。経済的には大陸の中国政権とも既に密接に繋がっており、今更ここで断行して中国と国交を締結しても利益は少ないと見ているのでしょう。中国の狙いは資源大国であるブラジル・アルゼンチン、ベネズエラであり、パラグアイに特に関心を寄せる事は無いものと思います。ただし、ここで問題となっているのはメルコスールと中国との自由貿易協定・FTAです。メルコスールと中国とがFTAを締結するにはパラグアイが邪魔になって来ます。国交も無いのにFTAを締結する訳には行きません。今後中国政府の圧力は増して来るでしょうが、貴重な資金供給源となっている台湾政府と断行する事はまず現時点では無いと見ています。メルコスールと中国が関係を深める中でパラグアイと台湾との外交関係が一つの焦点となっており、パラグアイとしてもこれを利用して行く事でしょう。

日本との関係もパラグアイは逆らわない事が基本となっています。パラグアイは貰い上手な国です。何か援助資金・物資を貰うとけなげに喜んで見せます。大げさに歓迎式典を開催し、相手に喜んでいる意思を素直に示します。パラグアイは多額の援助を日本から受け取っていますが、これに対する外交政策は巧みです。国際社会の場で日本が提案する事に対して直ぐに賛成して見せるのです。例えば最近では日本が常任理事国になるという事で国際社会に働き掛けをしましたが、パラグアイは真っ先に賛成をしています。日本に対しては常に「親日国」を示す事で多額の資金援助を受けて来ました。そして米国に対しても近隣諸国とは多少異なった政策を打ち出しています。ポピュラリズムの台頭で南米では反米左翼的な政権が次々に誕生している中で親米をしっかりと全面に出し米国に協力する姿勢を見せています。これの方が徳であり、利益があると見ているのでしょう。深く熟考して外交戦略を立てているとは到底思えないのですが、利のある方に付く、流れに乗るという基本戦略が成功しているように見えます。両大国に挟まれて時流を見る感覚は確かなように思います。







パラグアイに来て街を歩いて感じるのは「デブ」が非常に多いという事です。南米は大体において太っている人が多いは事実です。以前アルゼンチンが金融危機に陥った時に銀行に庶民が列を作って並んでテレビに向かって政府へ生活が困窮していると不満を訴えていましたが、どの人も丸々と太っていて世界からの同情を得るには至りませんでした。デブが多いこの南米にあってもパラグアイは特に多いのではないかと感じるのです。以前NHKで世界の様々な地図を見て考える番組があり、その中で「肥満」を取り上げていました。世界の国を肥満度に分けて色を付け塗り分けた世界地図が画面に出て来ました。肥満度最高を示す赤色は何と米国とパラグアイの二国だけでした。実際にパラグアイは世界最肥満国家のようなのです。

食生活を振り返りますと、好きな物は牛肉、それを毎日大量に食べている人が多いと思われます。パラグアイ人の食生活を見ていますと基本は「牛肉・マンジョカ芋・マテ茶」だと思います。これは貧富の差に関係無く同じであるように見えます。先進国ですと貧乏人と金持ちが描く「ご馳走」は別のものであり、実際に毎日食べているものもかなり異なると思います。贅を尽くした料理、高級料理というのは材料から違っているというのが他の国では常識で、例えば中国であれば満漢全席というのがありますが、熊の手を始め普通では手に入らない超高級食材が並びます。日本においては例えばフグ、マツタケなどは庶民には縁遠いもので、当方も今までの人生でどちらも口にした事がありません。興味はありますが、実際に食べた事が無いので食べたいと考える事もありません。多少お金があるならば美味しいウナギかお寿司でもと考えてしまいます。(どなたかご馳走してくれるのであれば喜んでお伴しますが・・)

パラグアイにおいてはご馳走のイメージは貧富の差が無く同じなのが特徴です。国民だれもが頭に描くご馳走のイメージは牛肉を焼いたアサードとマンジョカです。金持ちのパーティーでも貧乏人の集まりでも基本的なメニューは同じなのです。デブが多いのですが、一般の常識からすると栄養が足りている金持ちの方が太っていると考えます。多分昔の世界ではこのような現象があったのでしょう、パラグアイでは貧富の差に関係が無いように見えます。むしろ貧困層に太っている人が多いようにさえ見ます。中には歩く事も出来ないようなデブが居ますが、多くは金持ちではありません。では何故そうなるのでしょうか?一つの原因は肉の質にあると推測します。肉の値段は部位によって違うのですが一般的に油脂が多い程安い傾向があります。この結果として収入が少ない人ほど油脂分が多い肉を購入する結果となります。富裕層であれば例え油脂分が付いていても取り除く人が多いでしょうが、貧困層では全部食べてしまうでしょう。また富裕層ではしっかりとした教育知識もあり、肥満に対する知識もあり、体型を保つ意識も高いと推測します。

このような食生活を続けて肥満であれば、当然成人病が多いと思いますが、医者に聞きますと確かに多いそうですが、想像している程では無いようです。成人病予防には大量の食物繊維を摂取する必要があるようですが、パラグアイ人は大量にマンジョカ芋を食べる事で賄っているのでしょう。野菜をほとんど食べないパラグアイ人にとってビタミン等が含まれているマテ茶は必要不可欠なものなのでしょう。時代が変化し食生活にも変化が出ていますが、パラグアイ人は食に関しては非常に保守的で、今後も余り変わる事は無いでしょう。むしろ最近牛肉の質が向上しており、ますます牛肉を食べる傾向が強まるのでは無いかと想像しています。そうであれば肥満大国はしばらく続くと考えて間違い無いと思います。




エンカルナシオン市はパラナ川に沿って出来た街です。エンカルナシオン市街地には元々高低差があり、下町商店街と上町商店街がありました。より賑わっていたのは下町の方で川岸にも近く高級感があったそうです。パラナ川はアマゾンに次ぐ南米大陸第二の大河であり、現在ではこの付近ではパラグアイとアルゼンチンとの国境となっていて対岸はアルゼンチン・ミシオネス州の州都ポサダスです。

この大河の非常に大きな水量を利用しようと、水力発電所が計画され、ここから2百キロ程上流のパラグアイとブラジルの国境では世界最大の発電量を誇るイタイプダムが建設されています。これによりブラジルのかなりの部分の電力が賄われています。アルゼンチンでも電力不足が深刻となり1973年にパラグアイ、アルゼンチンとの間で水力用ダム建設が合意され1978年より工事が開始されました。上流のイタイプダムの場合には数百年前に近く変動があり、段差が生じ支流のイグアス川には巨大な滝(イグアスの滝)が出来ています。この自然の高低差を利用して大きな出力が可能となっています。下流のこの辺りは平地であり大きな段差は無く傾斜も相当ゆるやかになっています。大きな出力を得るために堤防を高くする必要があり、人造湖となる上流側の水位を上げて行く必要があります。この為に両政府は時間を掛けて浸水する地域の生態系を調べ、自然への影響を最小限にする努力を行い、また土地を喪失する人達に対して補償を行って来ました。

この中で最後まで大きな問題として残っているのがここエンカルナシオン市の下町です。ヤシレタダム公団そしてパラグアイ政府は下町の住民に対して代替地、住宅を用意するなどして来ましたが多くの住民は納得せず、そのまま住んでいます。また交渉に応じて引っ越した人の跡地に別の人が住みつき結局は多くの住民が住んでいる状態が続いています。既に水位はかなり高くなり大雨が降りますと下町商店街地域でも頻繁に浸水するようになっています。ヤシレタダム公団では年明けにも更に水位を上げる計画で影響を受ける道路、橋などの架け替えを急いています。多くの住民は公団の提示した退去の条件に納得せず交渉は難航していますがタイムリミットは迫っています。





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下町の実際の様子を見ますとゴミが散乱し、商店の他無秩序に露天商が並び衛生上でも問題があるように見えます。立ち退きに際して補償で揉めており近い将来に浸水する事は誰もが分かっているので、建物の補修、ペンキの塗り替え等は必要最小限に留められており、状況は悪化しているように見えます。道路によっては「閉鎖」という場所もあり、しばしば浸水しているので道路の状態も悪く市街地として機能しているとは言えず、日に日にスラム化しているというのが実情のようです。交渉は難航しており、お役所仕事的に処理しようとする公団側と少しでも良い条件をと望む住民側との最終決着にはまだしばからくかかりそうですが、水位が上がるタイムリミットが迫っており住民の最終決断の日は迫っています。公的施設並びに大半の商業施設の移転は終了しており、多くの市街地が浸水する反面新市街地が出来より効率的な都市として再出発出来る利点はあります。海が無いパラグアイですが、大きな人造湖畔に在る都市としてすばらしい景観を有する都市として存在感を増すかも知れませんね。






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今年の定期総会は3月08日午前11時からセントロ日系イタグア本部で開催されました。雨が降りしきる中、セントロの運営に関して熱い議論が行われました。また役員改選が行われ、川田忠会長に代わり石橋道雄(エドワルド)さんが新会長に選出されました。

会長:石橋道雄さん、副会長:川田忠さん、副会長:前原誠三さん(2009年/2011年)



下記の写真は新執行部のみなさん、中央が石橋会長

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総会の後は楽しく皆でアサードをいただきました。



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アスンシオンと東京を直線で結ぶと18000キロ離れている事が分かります、本当に遠いですね。中間地点はそれぞれの地点から9千キロという事でロスアンジェルス付近の太平洋上という事になります。東京とサンパウロを直線で結ぶとニューヨークの付近を通過するので随分ルートが異なりまし、サンパウロよりは短いのですが、それでも対蹠点までの90%という事になります。

アスンシオン、東京から正距方位図法で同心円を描くと下記の通りになります。同じ地球上に居ても見えている世界が異なるのが実感出来ます。最初の円は2500キロである程度近くにある地域と実感出来ます。東京からですと朝鮮半島、台湾、中国主要部などが入りこの辺りまでが近い場所です。アスンシオンからですとブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、チリの主要部が入ります、アスンシオンから感じる近い地域です。次に5千キロを見ますと東京からですと、ガダルカナル、インパール、アッツ島など日本が第二次世界大戦に最大に版図を広げた一番外側に当たります。この5千キロラインの地点で敗戦を喫しその後ほとんど反撃する事も出来ず終戦となっています。インドやオーストラリアそしてアラスカの近くで日本からの実感としては日本に影響を及ぼす可能性のある一番遠方の地点というのが実感でしょう。アスンシオンからですと南米全域のみがこの円の中に入ります。パラグアイの人達が南米のみが自分に影響する地域と感じているのは当然であると言えます。

一万キロという距離は地球の反対側までの半分、遠いが何とか意識がある地域であると思います。東京からですとアフリカと中南米を除くほぼ全域が入ります。日本の中学の地理の教科書で中南米とアフリカについて教えていないのは外の地域という感覚があるからだと思います。アスンシオンからですと北米、西欧アフリカの半分が入ります。南米とアフリカは確かに距離的には欧米と同じくらいもしくはそれ以上に近いのですが交流は限定されており、実際の距離よりは遠い印象があります。パラグアイからですと米州と西欧までが意識する世界であるのも頷けます。


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日本を含む世界60ヶ国ほどで800店舗を展開する「T.G.I. Friday’s」がパラグアイでオープンしました。日本では約10店舗ほどが六本木、品川など東京を中心にあるそうです。

開店した店の場所はエスパーニャ通り沿いでカルメリタ・センターの向い、以前「シュガー」があった場所です。世界共通の赤と白のストライプのユニフォームを着ていますが、どう見てもパラグアイナショナルチームのユニフォームに見えてしまいますね。パラグアイでは人気が出るかも知れません。食べ物は世界共通のアメリカンスタイルとしています。米国風の料理をいただきながらビールもしくはカクテルをいただくという訳です。




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