パラグアイに行こう・ブログ

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昨年の4月20日に大統領選挙が行われ、劇的な政権交代が決まり、ルゴ氏が大統領に選出され、それから本日で丁度一年が経過しました。ルゴ大統領に関する記念すべき21日の朝のビックニュースは一年前の出来事を祝うのでは無く、もう一人隠し子が居たという話で、6歳になるその子の母親はルゴ大統領に父親であると認めるよう訴えを提出し、これが大きく取り上げられていました。22日のABCコロール紙朝刊には3人目の子供が居る事が報じられていました。この母親は特に子供の認知を求める事はしないとの事です。聖職者と言っても男性であり子供を作るのは普通と認容する意見もありますが、3人の女性との間で子供を為したという事は深い関係の恋中であった女性がいったい何人居たのか、と疑問いう疑問が出て来ます。ルゴの子供に関しては6人までは確認出来ている、サンペドロに6歳から10歳くらいになる子が居る、スペイン、エクアドルなど国外にも居るなど色々な噂が飛び交っています。

もう一つの話題は大統領の就任式の翌日、昨年の8月16日にヴェネズエラ・チャベス大統領との会談があり、その際にパラグアイ石油公団の運営をベネズエラに委ねる趣旨の合意文章に大統領として署名していると疑念を持たれている事です。エネルギーは国家の主権に関わる大事であり、これを他国に全面的に任せてしまう事に各方面から大きな批判、反発が出ています。国会の批准が無ければ効力を発しないという事ですが、国家とは何か、政治とは何か、大統領は何を為すべきかという基本が分かっていないのではないかと疑問を投げかけられ大統領としての資質が問われています。マスコミの追及に対してルゴ政権はこの条約の署名に対して肯定しておらず、むしろ隠すようにしていますが、新聞報道に拠れば上記の条約はヴェネズエラでは既に昨年10月24日に国会で批准され、政令として発布されているそうで、ヴェネズエラ側は「PDVSA Paraguay SA」という会社の設立準備を行い着々と進めています。計画には電気を含むエネルギー全体を統括するとされているそうです。

この一年間、ルゴ大統領は就任前から専ら外遊に多くの時間を割き腰を落ち着けて政策を練る時間が無かったように見えます。当選から一年間で外国に行った回数は27回に上り、地球5周分飛行機に乗った計算になるのだそうで、ABC紙がまとめた表があり、中にはウルグアイに行った目的を見ますとサッカーの観戦などというのもあります。専用機が欲しい等と発言し多くの国民から顰蹙をかい、マスコミから攻撃の格好の材料とされる場面もありました。さすがに相次ぐスキャンダルに追われており、28回目、この木曜日からワシントンに行く旅行の予定はキャンセルになったようです。それにしてもこれ程何の用があって出掛けるのでしょうね。これほど多くの時間を費やしていますが、当初目玉として挙げていた公約であるイタイプダムの問題ではブラジルからは全く無視されている状況で再交渉のテーブルに着く事さえ出来ていません。また、胡麻農家に対して支援を行う為に基金を創設して多額の公金を支出しようとしましたが、基金の母体が不透明な団体であり、資金を出すには不適切、そもそも何故特別に資金を出すのか問われて頓挫してしまいました。選挙で支持を取り付ける際に密約があったのではないか何らかの裏取引があるのではないかと疑われています。

当選した際には貧困層は富の再分配と雇用の確保を期待し、一般市民は社会の上から下まではびこっている不正を根絶し公正で安全な社会の実現を望んでいたはずで、その双方共が不満を募らせているのが実情のように見えます。一番の支持者である地方の貧困層、特に土地無し農民の人達は農地を与えてもらうなど目に見える形での成果を求めているように見えます。特に地盤である北部地方を中心に熱心な支持者はまだ程度の数は存在はしいるのでしょうが、「何かが変わる」と期待しており、何時まで彼らの歓心を繋ぎ止める事が出来るのか具体的な政策を示す必要が迫っているように思います。

盟友であったはずの与党内最大勢力の青党・フランコ副大統領は20日に開催された一年前の選挙勝利を祝う集会に檀上に呼ばれなかったと不満を漏らしており、同党のヘイセケ商工大臣を突然解任するなど、連立与党の中でも次第に溝が深まっているようです。大統領の政治的な求心力は急速に下がっています。「サンダル履きの清貧な聖職者」、私利私欲の無い人物というイメージで当選したルゴ大統領ですが、人の話特に自分と違った立場の人の話には余り耳を傾けず、旅行と女性が大好きである事が明白になり国民の見方に大きく変化が出ている事は間違いないようです。当選から一年が経過し、個人的なスキャンダル、エネルギー政策の根幹に関わる問題など難問が山積しており、与党内が一枚岩とは言えない中で野党勢力などから厳しく追及されるのは必至であり、窮地に立つ大統領、次第に追い込まれて行く事でしょう。国民大多数特に女性の反発は大きく、これからは国内のどこかに視察に訪れたとしても市民の目線は今までとは異なるものとなり、ずっと冷ややかなものとなるでしょう、セレモニーなどがあっても大統領を招待する事さえ躊躇するようになり、敬虔なカトリックである近隣諸国を訪問しても後ろ指をさされるものと想像します。この難局をどのように対応するのか、支持者そして国民にどのように説明をするのか、誤魔化さずに問題に対して真摯に受け止め正面から解決に乗り出すのか注目しています。



友人が幾つかの巷の「チステ」(ジョークもしくはエスプリに当たるもの)を紹介してくれました。

チステ-01
“チリリーーン”
“はいこちらブルヴィチャロガ(Mburuvicha Roga)パラグアイ大統領公邸で御座います。
ルーゴ大統領の息子さんなら1番を、娘さんなら2番を、大統領の子供を目下妊娠中なら3番を、これから大統領の子供を授かりたい方は4番をお回し下さい。
お電話有難うございました。”

チステ-02
「おい、ルーゴは尼さん達とも深い関係があったというぞ。子供も居るらしい」
「子供の認知をするのか?」
「したらルーゴも尼さんも楽園から追放だとさ。」

チステ-03
大統領府からのお知らせです。XX日XX時からXX広場にて関係ある女性全員を対象とする特別ミサが開催されますのでお集まり下さい。







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パラグアイ首都アスンシオンと一番似ている都市はどこかと言いますとコリエンテス市である事は間違い無いでしょう。アスンシオン市はラプラタ流域の中心都市であった当時、「母なる都市」と呼ばれここを拠点に多くの都市が作られ、その中の一つがコリエンテスです。同時期に作られたことと、地形が非常に似ているので今でも似ているという訳です。同じ高度からの両都市を眺めますとはっきりと分かります。河が北から南に蛇行して流れ半島のようになっています。アスンシオンから植民を目的に開拓に行った人達は良く似ている地形を見つけて喜んだ事でしょう。道路の区画も幅も同じように作られたのだと思います。

その後、コリエンテス市はアルゼンチンの一地方都市となり、アスンシオン市はパラグアイの首都となりました。現在はコリエンテス市は人口30万人強、アスンシオン市は都市圏で二百万人に達する規模に成長していますが、セントロ・旧市街地に限れば大体同じ大さです。コリテンテスは要するにアスンシオンをもしアルゼンチンにしたらどのようになるのかという事を示しているように見えます。コリエンテスを訪問して感じたのは実に似ているという事で時々アスンシオンを歩いているのかと錯覚を起こす程です。コリエンテスの方が人口が少ない事もあってのんびりとした雰囲気があり、アルゼンチンのお洒落な雰囲気もあります。

一番の違い、コリエンテスを訪問した感じたのは河岸がしっかりと利用されているという事です。アスンシオンは河岸は不法住居の貧困層に占領されてしまっており、河岸を行く道路も無くほとんど利用されていないのに対してコリエンテスはしっかりと活用されています。河岸に沿って中央分離帯がある大きな道路があり、散策や河岸で遊べるようになっており、市民の憩いのスペースとなっています。道路の反対側にはレストランなどが多くあり魅力的な観光スポットとなっています。アスンシオンも河岸をしっかりと利用する事を考えるべきでしょう。もう一つ感心したのは歩行者専用の商店街がある事です。市民が歩いてショッピングや軽食喫茶を楽しめるようになっており、家族連れや若い人のグループで賑わっています。アスンシオンのセントロには歩いて散策して楽しむ場所はありませんのでこれを見ますとパルマ通りから自動車を完全に締め出し歩行者専用の道路にするべきであると思います。両都市を見る限りでは残念ながら計画的に住み良い都市にする知恵はアルゼンチンの方が勝っているように見えます。

コリエンテスとアスンシオンのもう一つの違いはコリエンテスでは対岸まで橋があり、アスンシオンには無い事です。アスンシオンの場合には反対側に行く為にはセントロから20キロも離れた橋を利用するしかありませんが、コリエンテスの場合には市街地の中心から直ぐに反対側に行く事が可能です。アスンシオンの場合には川幅がコリエンテスの半分しか無いにも関わらず橋がありません。これは国防上の問題からなのでしょう。アスンシオンセントロの反対側の南半分はアルゼンチン領となっています。要するにセントロからアルゼンチンに国境を跨ぐ橋を架ける事は左程難しい事ではありません。現在はアルゼンチンに行くには対岸にあるセントロから直線距離で2,3キロの国境まで行くのに50キロ程迂回して行かなくてはなりません、そして入国には煩雑な手続きが必要でアルゼンチンに簡単には行く事が出来ません。もし国境の橋が出来てしまいますと大統領府から自動車で10分でアルゼンチンに行く事が可能となってしまい問題になってしまうので敢えて架橋しないのでしょう。もしメルコスールが進展してEUのように往来がノーチェックになりここに橋が架けられますと双方が眠りから醒めたように活気が出て来る事は間違いないでしょう。特にアルゼンチン側にはほとんど何もありませんので急速に変化する事は間違い無いと思いますし、そのような未来は確実にやって来る事でしょう。そのような時代になった時にはアスンシオンは再び南米の中心として輝くのではないかと期待しています。


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コリエンテス









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アスンシオン
















コリエンテス市の詳しい様子は下記のページをご覧下さい。

コリエンテス市


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