パラグアイに行こう・ブログ

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パラグアイ人のエリートに対する見方はどのようなものなのでしょう。まず日本の場合を考えてみますと日本人のエリートに対するイメージは多分「一流大学を出て中央官庁もしくは一流企業に勤務いしている人」というようなものでしょう、そこに行けばエリートが集団を作りお互いに競い合いながら高度な業務をこなしているというようなものでしょう。一流大学も一流会社も特に定義があるわけではありませんが、メディアなどを通じてある程度序列化が進み、社会的な勝組と見なされ若い人達はエリートになる事を目指しているのでしょう。昔と比較しますと大分緩和されたとは言え激しい受験競争があるのはエリートを目指す戦いが存在するからなのでしょう。一旦、エリートとなりますと自他ともに意識し、日常の行動にも節度を求められ、毎日を切磋琢磨しながら生きて行くというイメージがあります。このエリートの概念には収入との大きな関連は無く、あくまで社会的な立場が重要であるよに思います。エリートを目指すのは社会的な勝者を目指しているもので、当然社会的な地位が高ければ収入も多くなりますが金銭はどちらかと言いますと副次的なもので、金が目的では無い点が少々特殊なように思います。

パラグアイは貧富の差が大きい国ですので社会的な勝者と敗者がはっきりと分かれていると言えます。金持ちと貧乏という概念は国民誰もがはっきりと持っていますが、エリートと非エリートという概念が無いように見えます。一つにはエリート集団が無い事が挙げられます。大企業が存在しないので雇用されているサラリーマンでエリートという層が存在しません。パラグアイでは激しい受験競争は余り目立ちません、確かにアスンシオン大学医学部のように受験競争が激しい場合はありますが、どちからと言いますとこれは例外であり、私立大学など大体の場合にはそれ程激しい競争はありません。そもそも日本で考えるようなエリート集団が存在しないので目指すモチベーションが無いようです。官庁も日本のような定期採用は無く、どちからと言いますとほとんどが縁故採用という感じですので個々では能力の高い人が居ますが優秀な人が集団を作っているという印象ではありません。これに対して金持ちと貧乏人の差は歴然としていて、大人になるに従い自分がどちらの層に属しているのかはっきりと分かります。都市部と農村部との格差は大きいものがあり、都市の中でも富裕層と貧困層の格差は大きいものがあります。貧困層の多くの人はこれは運の問題で富裕層は楽をして金持ちになっていると考えているように見えます。確かにある程度生まれで将来の所得が決まり、また貧困層の人が富裕層の生活を見る場面は運転手もしくはお手伝いさんというような職業でしょうが、そこでの富裕層の人は確かに楽をしている事でしょう。富裕層の人はそのような人には自分の重要な部分は見せないでしょうし、また見せる必要もないからで主にオフタイムの時間にこのよう人達と一緒に居る事が多いと考えられます。オフタイムしか見ないのでこのような人達は「自分達は一所懸命働いているのに雇用者はぐうたらしている」と考える事でしょう。

ではパラグアイ人に「エリート」というのはどのような人なのか尋ねるとどのような答えが返って来るのでしょう、「大きな牧場と幾つかの企業を所有し、センテナリオのような有名クラブに所属し高級車を数台所有し、ブラジルもしくはウルグアイの海岸に別荘を持ち年に数回はマイアミに出掛ける人」というようなものでしょう。そこには努力して得るものという概念が無く世襲で生れ付き得られるものというイメージがあります、これはエリートでは無く金持ちのイメージでそもそもエリート層というものが存在しないので想像が出来ないというのが正しいのでしょう。不幸にもそのような恵まれた境遇に生まれなかった大多数の人達は不平不満を口にしながら何も努力もせず、神から降って来る幸運をただ待ち、時には政府に文句を付け、「自分達にも何かくれ」と要求を言うだけという事になります。このような意識の人達に何かを与えてもそこから生まれるものは無く余り効果は期待出来ないのかも知れません。その中で向上心のある人は特殊な技能、職種に付き立身出世を目指します。能力の高い人は猛烈に勉強をし、特に優秀な人は本当の意味でのエリートを目指して国外に行くケースもあるようです。また苦学を続け官庁や企業等で能力を発揮し社会の下支えとなっている人も多く居ます、確かに最近はこのような人達がかなり増えて中間層を築き始めているように見えます。また中には自分の不遇な生まれから社会に対する復讐心を抱く人も居て、プラス思考で社会に貢献する事を目指すのでは無く悪徳弁護士や賄賂をせびるような警官になるというケースもあるように見えます。

貧困から抜け出す、社会のレベルを上げて行くにはしっかりとしたエリート集団を築く事が重要なファクターではないかと思います。日本が明治維新以降、発展をを遂げたのは若い人にエリートのイメージを植え付け、努力をすれば誰でもエリートになれると競争をさせた事にあるように思います。明治の高級軍人には外様の藩の人が数多く居ますし、試験を突破すれば誰でも高級官僚の道が開けていました。出自を問わず能力があれば登用する事で日本は発展を遂げて来ました。パラグアイでは人口が増加し経済が大きくなり次第に社会が熟成して来ています。現在育ちつつある中間層がその活躍している企業、官庁の中でエリート集団を形成し、本人達がやりがいを持ち、業務の成果が社会に見える形で示す事が出来、それに伴う安定した収入を得られるようになればモチベーションが出て、若い人の多くの人が勉強をし、社会が活性化するのではないかと期待しています。金持ちになりたいという意識をエリートになりたいという気持ちに変える事が出来れば社会はより活性化するのではないかと期待しています。




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