パラグアイに行こう・ブログ

パラグアイに行こうのブログです。

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1・日曜雑貨
日本の風呂用品特に網状の体を洗うタオル
洗濯する際に靴下等小物を入れる網状の袋
歯ブラシ・特に先が小さく硬いもの
ベビー綿棒(当地の綿棒は大きい)
歯磨き粉:普通のものは売っているが「つぶ塩」のようなチューブ入りは無い
香取線香(当地にもあるが日本のものは品質が違う)
化粧水(液体なので注意)

2・文房具
普通の鉛筆:南米の鉛筆は品質に問題。
シャープペンシル(特に太めの0.7、0.9:当地でも売っているが性能に問題、芯は売っている)
ホッチキス(当地のは大型で使い難い:針は売っている)
消しゴム(特に大きいのが良いでしょう。):当地の消しゴムは消えません。
ファイル(名刺入れなどの特別なもの)
A4の薄いノート:こちらのは厚めのものしか無い
この他日本の文具のレベルは高いので便利だと思ったものは持参されると良いでしょう。

3・衣類
下着類
靴下
スーツ・ワイシャツ(青山などで購入すると良いでしょう)
革靴:日本人の足は幅広なので当地の靴だと合わない

4・薬品
整腸剤(ビオフェルミン、正露丸など)
目薬(Vロートなど)
虫除けスプレー
ムヒ(スッティク状):これは土産にしても喜ばれるでしょう。
お部屋の4角にチュッとするだけで蚊に刺されない空間を作るスプレー(アース製薬):これは土産にしても喜ばれるでしょう。
サロンバス
オロナイン、キンカン
冷却ジェルシート

5・食品
缶や瓶に入っているものは出来るだけ避ける。液体は無理。量販店で売っている業務用の大きなアルミ袋に入っているものが良いでしょう。
(出来れば業務用)
昆布茶
中華あじ
ほんだし・昆布味:普通のほんだしは売っている。昆布味があると鍋物に使える。
カレー粉:ルーは嵩張るのでカレー粉を持参して料理すると良いでしょう。
杏仁豆腐の素
海苔(普通のもの・味付け海苔)
抹茶(飲むのにも、アイスクリームにも)
昆布(嵩張らない、持つのである程度持参すると良いでしょう)

袋入りのインスタント食品
たらこスパゲッティの素
麻婆茄子の素
浅漬けの素、漬物の素
ふりかけ・お茶漬けの素(売っていますが、種類は少なく高いです)
など

6・日本人・日系人へのお土産
普通にスーパーで売っている菓子や上記のようなインスタント食品など上記のものを参考にしていただければ良いでしょう。

※ よくお土産でいただくもの:虎屋の羊羹、日本茶、わさび漬け、高級和菓子(入れ物が大きく中身が少ない)、佃煮など
これはこれで嬉しいのですが、もっと実質本位のものが喜ばれると思います。

雑誌・漫画:成田の書店で週刊誌(週間ポスト、現代、、新潮、文春、アサヒ芸能、大衆、サピオ、など)、漫画雑誌(ビックコミックなど)を旅行中に読みそのまま日本人一世に渡すと喜ばれます。(これは嬉しいです)

ムヒ(スティック)や蚊取り線香なども良いでしょう。


参考・当地で手に入る日本食
インスタントラーメン、カップ麺(ブラジル製の日清、韓国製が多く出回っている)
日本米、豆腐、納豆、油揚げ、塩辛、味噌、醤油、さつま揚げ、こんにゃく(パラグアイで作っている)
日本で売っているような野菜(長ネギ、白菜、もやし、茄子、大根、ごぼう、茗荷、など)簡単に手に入ります。
日本酒、みりん、海苔の佃煮、米酢、ほんだしなどはブラジル製があり、それほどは高くないです。(酒、みりんなどはブラジルで三菱系の東山農事が作っています。)
せんべい、ふりかけ、お茶漬けの素、カレールー、つゆの素、等は日本製がありますが高いです。(永谷園お茶漬けとステーキ一枚が同じ値段)
そば、素麺、たくあんなどは韓国製がそれほど高くなく手に入ります。
日本のものではありませんが、肉まん、あんまんは中国人が作っています。(個人的に好きなのでよく食べます。)
うどんは売っていませんが、イタリア料理用の生麺は普通に「うどん」として使えます。
なお、割り箸:たくさんあります。普段使う塗り箸、客用の箸は持って来る方が良いでしょう。

電化製品
ほとんどの電化製品(電気釜、電気プレート、ポット等)は売られています。



http://www.geocities.jp/paraguayooit/tabi-003.html







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高度成長、バブルの景気など日本経済は終戦後から1990年くらいまでオイルショックなど多少の経済後退期はありましたが、右肩上がりで成長し、米欧日の3極で世界経済が回っていた時代が長く続いていました。その後、経済が伸び悩み、それでもまた再度経済は成長すると考えていた人も居ましたが最近になり、財政の悪化し、現行の年金制度・医療福祉制度を維持するのも難しくなって来ている、少子高齢化が今後も少なくとも50年近くは進行し事態は悪化して行く、放射能の影響、電力不足、国際競争力の減退、食料・エネルギー不足への不安、新たな地震、火山の噴火への心配など多くの不安定要因を抱えて長期的な展望が見えない状況となっています。勿論個人レベルではしっかりと日本社会で伸びて行き将来に不安は無いと感じている方も居るでしょうが客観的に日本の置かれている現状を見ていますと将来に対して不安な想いを持っている方が次第に増えているのではないかと想像します。

このような状況の中、色々な形で日本を出て外国に住む人が増えているように見えます。外国で働く駐在員は減る傾向にありますが、全体としては外国に住む長期滞在者・永住者は増えているようで、日本からの派遣では無い、地元に根差した引っ越しが多くなっているものと推測します。引っ越しの内容は色々でしょう、大学等に留学の方、旅行を兼ねての長期滞在、外籠り、熟年の方のシルバー移住、そして働いて生活する本格的な引っ越し(移住)と様々でしょう。日本では「移住」という言葉に特別な意味があるように感じます。「思い切って日本を捨てて外国に骨を埋める」というような悲壮感が漂います。外国に住む、住む場所を日本国外に移す事を「移住」と捉えるのでは無く「引っ越し」と考えてみては如何でしょうか?「海外雄飛」などと言う時がありますが、日本での普通の市民が突然新しい土地で飛躍するというのは少々おかしな話で引っ越し先でも今までと同じような普通の市民となるだけだと思います。勿論引っ越した国で成功を収めて輝く方も居ますがそれは日本に居ても大きな成功を成し遂げる人も居る訳であり、何も「外国だから」では無いはずです。

さて、引っ越し先として日本の方に人気があるのがカナダ、米国、オーストラリア、ニュージーランド等の白人が主体の英語の国、そしてフィリピン、シンガポール、タイ、マレーシア、香港などの東南アジアでしょう。多くの方が希望する白人英語圏は永住査証、労働許可を取得に関しては特殊な技能、知識を有していないとなかなか難しく、人種的な偏見も根強いと思います。東南アジアは熟年シルバー移住の方には良いかも知れませんが人生これからという働く世代には外国人として生きなければならず日本人相手の商売をするなど仕事も限られてしまうのではないかと思います。若い方には余り向かないようにも見えます。このような国と比較して個人的には南米各国は比較的条件が揃っているので多くの人が希望するのでは無いかと思っていましたが、どうやらどの国も不人気のようです。多くの日本人が何故南米そしてパラグアイに目を向けないのか不思議に思い、機会ある毎に尋ねてますと「遠い」「情報が無い、あってもネガティブ情報ばかりで治安等に問題がある」「多くの移住者を出したが苦労ばかりであった」「貧困で日系人も多くの人が日本に出稼ぎに行っている」「言葉が出来ない」など否定的な意見が多くあるようで、どうやら多くの方にとってパラグアイなどは最初から引っ越し先の対象にはならないようです。

パラグアイは日本との永住協定が健在で条件さえ揃えば比較的簡単に永住査証を得る事が出来ます。労働許可は永住査証があれば不要で永住査証を取得さえ取得すれば一般のパラグアイ人と比較して不利益な事は全く無く、同じ土俵で生活する事が出来ます。その上、心強いのは日系人の存在で全国に約6千人の日本人永住者並びにその子孫が居ます。パラグアイにおける貢献度は大きく日本人である事で普通に生活をしていて差別を受ける事はまずありません。またほとんどの国民が欧州などからの移住者とその子孫なので、日本だからと言って特別な外国人と看做される事無く、社会の普通の構成メンバーと見てくれます。パラグアイは暮らし易い国である事は間違い無いと思います。最近になり、日本人の中にも引っ越し先としてパラグアイに注目する方で少しづつですが、出て来ているように見えます。下見に当地を訪問された方に話を伺うと「情報が無い」とのことを強調されます。また「想像していたのと全く異なる」という意見も多くありました。


パラグアイ引越し情報





毎年1月と7月の2回、パラグアイの日系社会持ち回りで少年野球大会が開催されています。今年は1月の大会がアスンシオンで開催されました。カテゴリーが2つあり、「小学生」が満13歳まで、「少年」が満16歳までとなり、暦年で計算します。今年の大会は少年が1995年1月1日~1997年12月31日まで生まれた子供でそれ以上は上のカテゴリーとなる 「青年」となり、1998年以降に生まれた人は小学生となります。人数が足りない等の理由で小学生カテゴリーの子を少年に入れる事は自由です。

開会式はビジャエリサにあるアスンシオン日本人会グラウンドで午前9時からパウロ・リチャードスポーツ大臣が列席される中開催されました。パラグアイ最大新聞「ABCコロール」においてパラグアイ野球連盟の大会として紹介されました。要するに日系の大会というだけでは無く全パラグアイの野球大会という位置付けです。

地方から来るチームは前日の夜に出発し夜中走り続けてやって着ます。到着すると直ぐに開会式、そして試合とハードな一日ですね。各チームで何語で話をしているのか傍で聞いてみますとアスンシオン、エンカルナシオン都市二チームはスペイン語、移住地のピラポ、ラパス、イグアスは主に日本語、そしてアマンバイはポルトガル語でした。ペドロファンカバジェロではスペイン語よりもむしろポルトガル語が日常語として使用されているのです。また非日系の中国系、現地の普通の方も増えて来ています。

優勝旗を見てみますと贈・岡林洋一とあります。岡林さんはヤクルトで1991年~1994年の間は毎年10勝以上を挙げ、チームのエースとして活躍されました。生まれはイグアス移住地で当地の少年野球で活躍され、14歳の時に高知県に引っ越しをされ、高知商業、専修大学を経てヤクルトに入団されました。1992年は15勝を挙げ西武との日本シリーズでも大活躍、その粘りは「パラグアイ育ち」にあるとされ、テレビの中継では「パラグアイの岡林」とのコメントを受けていました。時にはスペイン語で寝言を言っていたという逸話もあり、同世代には「パラやん」と呼ばれていたそうです。現在はヤクルトのスカウトとして活躍されています。ここに参加している少年たちの大先輩で、この中から第二の岡林が出て来るかも知れませんね。

大会は2日間の日程で行われ、初日の夕食は歓迎会となります。各地から集まった選手、父兄、関係者が一堂に会する大食事会です。初日ビジャ・エリサの日本人会グラウンドを使用したのはここで歓迎会を行う為でもあります。ただ翌日の少年の試合は朝7:30からで、試合が行われている時には既に準備にかからなければなりません。アスンシオンチームの選手の父母だけで準備を行うので本当に大変です。お父さん達はアサードを準備します。通常のアサードを焼く場所だけでは到底足りないのでアサードを焼く器具を幾つも並べての作業です。この日は最高気温が40度近くにまで上昇、その中でのアサードを作りは大変です。

初日はビジャ・エリサに在るアスンシオン日本人会グラウンドで開催されましたが、広さの関係で少年はカピアタにある天理教のグラウンドで開催されました。フェンスもある本格派の球場です。アスンシオン少年チームは選手が10人なので小学生を4名入れています。少年は小学生のカテゴリーでは参加しなかったアマンバイチームも参加し、7チームが2つの組に分かれて戦いました。第一球場ではアスンシオン、ピラポ西、アマンバイの3チーム、第二球場ではラパス、エンカルナシオン、イグアス、ピラポ東の4チームが戦いました。それぞれの勝者が最後に決勝を行いイグアスチームが優勝を飾りました。

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(写真)アスンシオン少年チーム


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(写真)アスンシオン少年チームの攻撃

少年野球・アスンシオンチーム





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