パラグアイに行こう・ブログ

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パラグアイの人の夢は大パラグアイでしょう。現在は南米の中央に位置しているとは言えアルゼンチン、ブラジルが目立つ中で埋没しており、余り注目されていないパラグアイですが、「南米の元祖」特にラプラタ流域の中心という意識は強く持っているように見えます。大航海時代にスペイン、ポルトガルの人が南米に来た理由は何と言いましても金銀財宝を求めてでしょう。当初は南米に根付く事などは念頭に無くひと山当てる事だけを考えていたと想像します。スペイン領の南部南米の最大の関心事は現在のポトシに在る銀であり、これを求めて多くの人がこの地域にやって来ました。ラプラタというのは銀という意味、そしてアルゼンチンという国号も銀という意味ですので当時の銀を求める想いというのすさまじいものがあった事でしょう。多くの人が銀を求めてラプラタ河を遡り、アスンシオンを拠点にして更に河を上っていったのでしょう。アスンシオン市そしてパラグアイの開発は銀を求めての旅の途中、過程であり入植自体が目的であった訳ではありませんでした。その後ポトシへはペルーから探索していた人が到達してリマ方面に抜けるルートが確立しました。そうなりますとラプラタ流域の拠点は本来の意味を失い取り残される事となり土着化が始まり植民地化が始まります。最初から計画的な入植をした訳ではない地域の開発を目的としたものではなかった訳です。結果的にはパラグアイは現地が進み「パラグアイ人」という意識が強くなって行ったと考えます。


その後周囲との関係は余り芳しくなく、ブラジルからはバンデイランチという開拓者によって領土が侵食されこの為にヴィジャリカのように7回も引っ越しを余儀無くされたケースもあります。約200年前の独立当時は隆盛を誇り南米の先進国として名を馳せていました。更にはナポレオン、ナポレオン三世の影響があり、拡大主義に走りブラジル、アルゼンチンとウルグアイを巡る戦争を行って大敗し領土の半分と国民の多数を失いその後は現在に至るまで南米の小国に甘んじています。北半球全体を舞台にした第二次世界大戦と南米限定の三国戦争と規模の差はありますが、日本の第二次世界大戦とよく似ています。ただ異なる点も多く戦後日本は大いに経済発展を遂げた事に対してパラグアイは沈滞したままです。これは国民の質ややる気という問題よりも国際情勢そして地勢に拠る点が大きいと思います。日本の場合には米ソによる冷戦が始まり日本は米国側の最前線としての役割を担う事となりその為に意図的に米国は支援しまた戦争特需で潤い一気に経済成長を遂げました。これに対してパラグアイはアルゼンチン、ブラジルにとってはやっかいな存在以外の何者でも無く黙って「静かにしておれ」と考えられている存在です。この構図は現在も変化無くパラグアイ人の両国に対する不満に繋がっています。


パラグアイの分岐点となった三国戦争に勝っていればという思いは日本人が第二次世界大戦に対するものとは比較にならないと思います。戦争が勃発する際には双方に言い分があり、一方のみが悪いという事はあり得ないと思います。第二次世界大戦後、極東軍事裁判なるものが開かれて日本側で戦争を推進したとされる人達が戦勝国によって裁かれ死刑にされていますが、これは納得出来ないと考える人が多いのも当然です。まして男性成人の半数以上そして最終局面で大統領が戦死するという異常な事態の中で大敗したパラグアイ人の無念は相当なものがあったと思います。あの三国戦争で買っていれば現在はアルゼンチン、ブラジルと互角に渡り合えたのにという思いは相当残っているように感じます。コンセプシオン市の博物館に中央に飾られている地図があります。古地図にしてはいやに目立つ展示をしていると不思議に思い見ますと何と大パラグアイが描かれた地図でした。三国戦争の前の時代17世紀にパリで印刷されたものですが、三国戦争を戦う際にはこの地図の版図が本来のあるべきパラグアイと頭に入っていたのかも知れません。この地図のパラグアイは南米の中央の大国として存在し、首都のアスンシオン市は国の中央に位置しており、現在のクリチバ以南のブラジル南部三州、ウルグアイ全土そしてブエノスアイレスを含むアルゼンチン全土がパラグアイになっています。国は6つの州で構成されており、「パラグアイ」「グアイラ」「ウルグアイ」「パラナ」「リオ・デ・ラプラタ」などに分かれています。この地図の通りの国が成立していたならばブラジル以上の国力の南米随一の国となっていた事でしょう。パラグアイの人達の儚い夢ですが、現実となっていた可能性もあったと思います。ただこのような国になっていた場合には国の形が全く別のものになっていた事でしょう。どちらが幸せであったのか分かりませんね。






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大きい地図は下記をクリックして下さい。










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