パラグアイに行こう・ブログ

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昨年の4月20日に大統領選挙が行われ、劇的な政権交代が決まり、ルゴ氏が大統領に選出され、それから本日で丁度一年が経過しました。ルゴ大統領に関する記念すべき21日の朝のビックニュースは一年前の出来事を祝うのでは無く、もう一人隠し子が居たという話で、6歳になるその子の母親はルゴ大統領に父親であると認めるよう訴えを提出し、これが大きく取り上げられていました。22日のABCコロール紙朝刊には3人目の子供が居る事が報じられていました。この母親は特に子供の認知を求める事はしないとの事です。聖職者と言っても男性であり子供を作るのは普通と認容する意見もありますが、3人の女性との間で子供を為したという事は深い関係の恋中であった女性がいったい何人居たのか、と疑問いう疑問が出て来ます。ルゴの子供に関しては6人までは確認出来ている、サンペドロに6歳から10歳くらいになる子が居る、スペイン、エクアドルなど国外にも居るなど色々な噂が飛び交っています。

もう一つの話題は大統領の就任式の翌日、昨年の8月16日にヴェネズエラ・チャベス大統領との会談があり、その際にパラグアイ石油公団の運営をベネズエラに委ねる趣旨の合意文章に大統領として署名していると疑念を持たれている事です。エネルギーは国家の主権に関わる大事であり、これを他国に全面的に任せてしまう事に各方面から大きな批判、反発が出ています。国会の批准が無ければ効力を発しないという事ですが、国家とは何か、政治とは何か、大統領は何を為すべきかという基本が分かっていないのではないかと疑問を投げかけられ大統領としての資質が問われています。マスコミの追及に対してルゴ政権はこの条約の署名に対して肯定しておらず、むしろ隠すようにしていますが、新聞報道に拠れば上記の条約はヴェネズエラでは既に昨年10月24日に国会で批准され、政令として発布されているそうで、ヴェネズエラ側は「PDVSA Paraguay SA」という会社の設立準備を行い着々と進めています。計画には電気を含むエネルギー全体を統括するとされているそうです。

この一年間、ルゴ大統領は就任前から専ら外遊に多くの時間を割き腰を落ち着けて政策を練る時間が無かったように見えます。当選から一年間で外国に行った回数は27回に上り、地球5周分飛行機に乗った計算になるのだそうで、ABC紙がまとめた表があり、中にはウルグアイに行った目的を見ますとサッカーの観戦などというのもあります。専用機が欲しい等と発言し多くの国民から顰蹙をかい、マスコミから攻撃の格好の材料とされる場面もありました。さすがに相次ぐスキャンダルに追われており、28回目、この木曜日からワシントンに行く旅行の予定はキャンセルになったようです。それにしてもこれ程何の用があって出掛けるのでしょうね。これほど多くの時間を費やしていますが、当初目玉として挙げていた公約であるイタイプダムの問題ではブラジルからは全く無視されている状況で再交渉のテーブルに着く事さえ出来ていません。また、胡麻農家に対して支援を行う為に基金を創設して多額の公金を支出しようとしましたが、基金の母体が不透明な団体であり、資金を出すには不適切、そもそも何故特別に資金を出すのか問われて頓挫してしまいました。選挙で支持を取り付ける際に密約があったのではないか何らかの裏取引があるのではないかと疑われています。

当選した際には貧困層は富の再分配と雇用の確保を期待し、一般市民は社会の上から下まではびこっている不正を根絶し公正で安全な社会の実現を望んでいたはずで、その双方共が不満を募らせているのが実情のように見えます。一番の支持者である地方の貧困層、特に土地無し農民の人達は農地を与えてもらうなど目に見える形での成果を求めているように見えます。特に地盤である北部地方を中心に熱心な支持者はまだ程度の数は存在はしいるのでしょうが、「何かが変わる」と期待しており、何時まで彼らの歓心を繋ぎ止める事が出来るのか具体的な政策を示す必要が迫っているように思います。

盟友であったはずの与党内最大勢力の青党・フランコ副大統領は20日に開催された一年前の選挙勝利を祝う集会に檀上に呼ばれなかったと不満を漏らしており、同党のヘイセケ商工大臣を突然解任するなど、連立与党の中でも次第に溝が深まっているようです。大統領の政治的な求心力は急速に下がっています。「サンダル履きの清貧な聖職者」、私利私欲の無い人物というイメージで当選したルゴ大統領ですが、人の話特に自分と違った立場の人の話には余り耳を傾けず、旅行と女性が大好きである事が明白になり国民の見方に大きく変化が出ている事は間違いないようです。当選から一年が経過し、個人的なスキャンダル、エネルギー政策の根幹に関わる問題など難問が山積しており、与党内が一枚岩とは言えない中で野党勢力などから厳しく追及されるのは必至であり、窮地に立つ大統領、次第に追い込まれて行く事でしょう。国民大多数特に女性の反発は大きく、これからは国内のどこかに視察に訪れたとしても市民の目線は今までとは異なるものとなり、ずっと冷ややかなものとなるでしょう、セレモニーなどがあっても大統領を招待する事さえ躊躇するようになり、敬虔なカトリックである近隣諸国を訪問しても後ろ指をさされるものと想像します。この難局をどのように対応するのか、支持者そして国民にどのように説明をするのか、誤魔化さずに問題に対して真摯に受け止め正面から解決に乗り出すのか注目しています。



友人が幾つかの巷の「チステ」(ジョークもしくはエスプリに当たるもの)を紹介してくれました。

チステ-01
“チリリーーン”
“はいこちらブルヴィチャロガ(Mburuvicha Roga)パラグアイ大統領公邸で御座います。
ルーゴ大統領の息子さんなら1番を、娘さんなら2番を、大統領の子供を目下妊娠中なら3番を、これから大統領の子供を授かりたい方は4番をお回し下さい。
お電話有難うございました。”

チステ-02
「おい、ルーゴは尼さん達とも深い関係があったというぞ。子供も居るらしい」
「子供の認知をするのか?」
「したらルーゴも尼さんも楽園から追放だとさ。」

チステ-03
大統領府からのお知らせです。XX日XX時からXX広場にて関係ある女性全員を対象とする特別ミサが開催されますのでお集まり下さい。







パラグアイ首都アスンシオンと一番似ている都市はどこかと言いますとコリエンテス市である事は間違い無いでしょう。アスンシオン市はラプラタ流域の中心都市であった当時、「母なる都市」と呼ばれここを拠点に多くの都市が作られ、その中の一つがコリエンテスです。同時期に作られたことと、地形が非常に似ているので今でも似ているという訳です。同じ高度からの両都市を眺めますとはっきりと分かります。河が北から南に蛇行して流れ半島のようになっています。アスンシオンから植民を目的に開拓に行った人達は良く似ている地形を見つけて喜んだ事でしょう。道路の区画も幅も同じように作られたのだと思います。

その後、コリエンテス市はアルゼンチンの一地方都市となり、アスンシオン市はパラグアイの首都となりました。現在はコリエンテス市は人口30万人強、アスンシオン市は都市圏で二百万人に達する規模に成長していますが、セントロ・旧市街地に限れば大体同じ大さです。コリテンテスは要するにアスンシオンをもしアルゼンチンにしたらどのようになるのかという事を示しているように見えます。コリエンテスを訪問して感じたのは実に似ているという事で時々アスンシオンを歩いているのかと錯覚を起こす程です。コリエンテスの方が人口が少ない事もあってのんびりとした雰囲気があり、アルゼンチンのお洒落な雰囲気もあります。

一番の違い、コリエンテスを訪問した感じたのは河岸がしっかりと利用されているという事です。アスンシオンは河岸は不法住居の貧困層に占領されてしまっており、河岸を行く道路も無くほとんど利用されていないのに対してコリエンテスはしっかりと活用されています。河岸に沿って中央分離帯がある大きな道路があり、散策や河岸で遊べるようになっており、市民の憩いのスペースとなっています。道路の反対側にはレストランなどが多くあり魅力的な観光スポットとなっています。アスンシオンも河岸をしっかりと利用する事を考えるべきでしょう。もう一つ感心したのは歩行者専用の商店街がある事です。市民が歩いてショッピングや軽食喫茶を楽しめるようになっており、家族連れや若い人のグループで賑わっています。アスンシオンのセントロには歩いて散策して楽しむ場所はありませんのでこれを見ますとパルマ通りから自動車を完全に締め出し歩行者専用の道路にするべきであると思います。両都市を見る限りでは残念ながら計画的に住み良い都市にする知恵はアルゼンチンの方が勝っているように見えます。

コリエンテスとアスンシオンのもう一つの違いはコリエンテスでは対岸まで橋があり、アスンシオンには無い事です。アスンシオンの場合には反対側に行く為にはセントロから20キロも離れた橋を利用するしかありませんが、コリエンテスの場合には市街地の中心から直ぐに反対側に行く事が可能です。アスンシオンの場合には川幅がコリエンテスの半分しか無いにも関わらず橋がありません。これは国防上の問題からなのでしょう。アスンシオンセントロの反対側の南半分はアルゼンチン領となっています。要するにセントロからアルゼンチンに国境を跨ぐ橋を架ける事は左程難しい事ではありません。現在はアルゼンチンに行くには対岸にあるセントロから直線距離で2,3キロの国境まで行くのに50キロ程迂回して行かなくてはなりません、そして入国には煩雑な手続きが必要でアルゼンチンに簡単には行く事が出来ません。もし国境の橋が出来てしまいますと大統領府から自動車で10分でアルゼンチンに行く事が可能となってしまい問題になってしまうので敢えて架橋しないのでしょう。もしメルコスールが進展してEUのように往来がノーチェックになりここに橋が架けられますと双方が眠りから醒めたように活気が出て来る事は間違いないでしょう。特にアルゼンチン側にはほとんど何もありませんので急速に変化する事は間違い無いと思いますし、そのような未来は確実にやって来る事でしょう。そのような時代になった時にはアスンシオンは再び南米の中心として輝くのではないかと期待しています。


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コリエンテス









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アスンシオン
















コリエンテス市の詳しい様子は下記のページをご覧下さい。

コリエンテス市



パラグアイの人の夢は大パラグアイでしょう。現在は南米の中央に位置しているとは言えアルゼンチン、ブラジルが目立つ中で埋没しており、余り注目されていないパラグアイですが、「南米の元祖」特にラプラタ流域の中心という意識は強く持っているように見えます。大航海時代にスペイン、ポルトガルの人が南米に来た理由は何と言いましても金銀財宝を求めてでしょう。当初は南米に根付く事などは念頭に無くひと山当てる事だけを考えていたと想像します。スペイン領の南部南米の最大の関心事は現在のポトシに在る銀であり、これを求めて多くの人がこの地域にやって来ました。ラプラタというのは銀という意味、そしてアルゼンチンという国号も銀という意味ですので当時の銀を求める想いというのすさまじいものがあった事でしょう。多くの人が銀を求めてラプラタ河を遡り、アスンシオンを拠点にして更に河を上っていったのでしょう。アスンシオン市そしてパラグアイの開発は銀を求めての旅の途中、過程であり入植自体が目的であった訳ではありませんでした。その後ポトシへはペルーから探索していた人が到達してリマ方面に抜けるルートが確立しました。そうなりますとラプラタ流域の拠点は本来の意味を失い取り残される事となり土着化が始まり植民地化が始まります。最初から計画的な入植をした訳ではない地域の開発を目的としたものではなかった訳です。結果的にはパラグアイは現地が進み「パラグアイ人」という意識が強くなって行ったと考えます。


その後周囲との関係は余り芳しくなく、ブラジルからはバンデイランチという開拓者によって領土が侵食されこの為にヴィジャリカのように7回も引っ越しを余儀無くされたケースもあります。約200年前の独立当時は隆盛を誇り南米の先進国として名を馳せていました。更にはナポレオン、ナポレオン三世の影響があり、拡大主義に走りブラジル、アルゼンチンとウルグアイを巡る戦争を行って大敗し領土の半分と国民の多数を失いその後は現在に至るまで南米の小国に甘んじています。北半球全体を舞台にした第二次世界大戦と南米限定の三国戦争と規模の差はありますが、日本の第二次世界大戦とよく似ています。ただ異なる点も多く戦後日本は大いに経済発展を遂げた事に対してパラグアイは沈滞したままです。これは国民の質ややる気という問題よりも国際情勢そして地勢に拠る点が大きいと思います。日本の場合には米ソによる冷戦が始まり日本は米国側の最前線としての役割を担う事となりその為に意図的に米国は支援しまた戦争特需で潤い一気に経済成長を遂げました。これに対してパラグアイはアルゼンチン、ブラジルにとってはやっかいな存在以外の何者でも無く黙って「静かにしておれ」と考えられている存在です。この構図は現在も変化無くパラグアイ人の両国に対する不満に繋がっています。


パラグアイの分岐点となった三国戦争に勝っていればという思いは日本人が第二次世界大戦に対するものとは比較にならないと思います。戦争が勃発する際には双方に言い分があり、一方のみが悪いという事はあり得ないと思います。第二次世界大戦後、極東軍事裁判なるものが開かれて日本側で戦争を推進したとされる人達が戦勝国によって裁かれ死刑にされていますが、これは納得出来ないと考える人が多いのも当然です。まして男性成人の半数以上そして最終局面で大統領が戦死するという異常な事態の中で大敗したパラグアイ人の無念は相当なものがあったと思います。あの三国戦争で買っていれば現在はアルゼンチン、ブラジルと互角に渡り合えたのにという思いは相当残っているように感じます。コンセプシオン市の博物館に中央に飾られている地図があります。古地図にしてはいやに目立つ展示をしていると不思議に思い見ますと何と大パラグアイが描かれた地図でした。三国戦争の前の時代17世紀にパリで印刷されたものですが、三国戦争を戦う際にはこの地図の版図が本来のあるべきパラグアイと頭に入っていたのかも知れません。この地図のパラグアイは南米の中央の大国として存在し、首都のアスンシオン市は国の中央に位置しており、現在のクリチバ以南のブラジル南部三州、ウルグアイ全土そしてブエノスアイレスを含むアルゼンチン全土がパラグアイになっています。国は6つの州で構成されており、「パラグアイ」「グアイラ」「ウルグアイ」「パラナ」「リオ・デ・ラプラタ」などに分かれています。この地図の通りの国が成立していたならばブラジル以上の国力の南米随一の国となっていた事でしょう。パラグアイの人達の儚い夢ですが、現実となっていた可能性もあったと思います。ただこのような国になっていた場合には国の形が全く別のものになっていた事でしょう。どちらが幸せであったのか分かりませんね。






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大きい地図は下記をクリックして下さい。










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倉斗さんご夫妻は約30年前に設計の仕事でアスンシオンとエンカルナシオンに住んでいらっしゃいました。当時セントロ日系の前身に当たる「二世クラブ」の活動を支援された方です。今回は久しぶりのパラグアイ訪問との事で多くのメンバーが集まり歓迎会を開催いたしました。石橋会長が就任されて最初のイベントとなります。

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日曜日の昼に行ってみました。開店して間もなくという事で評判を呼び大混雑でした。もうしばらくしますと少しは空いて来ると思われます。

入口に入りますと待合室となっており、大勢の人が順番を待っていました。世界でこのチェーンがある主な都市を記しています。ロンドン、クアラルンプール、ソウルそして東京の名前もあります。

値段ですが割合と高目に設定されています。ただ味はパラグアイ風にはしていないで多分オリジナルの味に近いものを出しているように感じます。多くのものは米国から持ち込んでいるようです。






http://www.geocities.jp/paraguaykuma/yakitori-html.htm







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テレビ・ワールドバザール21のサイトに掲載されて来ました「いまどき報告」
が打ち切りになるとの通告がありました。

不況の影響がここにも忍び寄っているのですね。毎月投稿し3年間36回の
連載です。最終回は「可能性の高いパラグアイ」と題して経済面を今までの
商工会の歩みに沿って取り上げてみました。

http://www.e384.com/imadoki/29paraguay/paraguay_36.html
最終回(第36回)


http://www.e384.com/imadoki/29paraguay/index.html
目次








パラグアイの人にとってサッカーは生活の一部になっているように見えます。南米全体にサッカーが大好きでサッカー無しでは語れない状況と言えますが、北部ベネズエラ、コロンビアでは野球がありますし、ブラジルではバレー、アルゼンチンではラグビーも盛んで世界的なレベルになっています。ここパラグアイではサッカーだけで他に目立つスポーツと言いますとゴルフ、テニスで時々世界的なプレイヤーが出ますが、これは個人のスポーツであり、特殊な人達のものと言えます。サッカーは国民全体に支持されている唯一のスポーツであり、これ以外の球技は実質的には無いも同然、世界のレベルからはほど遠いのが現状と言えます。

サッカーに関しては以前からある程度の力はありましたが、最近は安定して来ているように見えます。ワールドカップはフランス、日韓、ドイツと3大会連続の出場、これは何でもアルゼンチン、ブラジルに次いで三ヶ国目なのだそうで、快挙と言えます。また、アテネオリンピックではアルゼンチンと共に南米代表として出場し、南米代表の二ヶ国で決勝を競い、銀メダルを獲得しています。実績から見ますとサッカーに関しては世界のトップレベルと言えます。

子供から大人まで集まりますとサッカーに興じます。ある程度の規模の会社になりますとメーデーの日は従業員慰労の日としてアサード(肉料理)を用意して楽しみますが、大体サッカーと一緒に楽しむ事が多いようです。テレビでスポーツと言いますとすなわち「サッカー」という感じです。男の子の多くもサッカーが大好きでサッカー選手になりたいというのが多くの男の子の希望のようです。実際に貧困層が貧乏から抜け出る最大のチャンスと言えます。サッカーのプロは多重構造になっており、一部から地域リーグまであり、多くの若者が夢を追っています。大半は夢のままで終わってしまうのでしょうが、突出した選手は上部リーグに駆け上がり、一部リーグで活躍すればアルゼンチン、ブラジル、メキシコ、更には欧州で活躍する道が開けます。

ワールドカップは国別対抗戦で、ファンが熱狂する大イベントですが、多くの選手やサッカー関係者にとっては選手の品評会でもあります。パラグアイを始め南米の選手の多くはここで活躍して自分の価値を高めて売り込むのが目的となります。チームの勝利よりもまず自分のアピール、南米のチームが実力がありながら負ける時にはチーム内での揉め事が原因の場合が多いのですが、一人が目立ち過ぎるとボールが来なくなり、相手に利する事となり負けてしまうのです。欧州で開催する時に南米が優勝出来ないのは欧州のクラブチームに自分を売り込もうとする気持ちが強くなり過ぎるからなのかも知れませんね。ワールドカップの時にはパラグアイは半分休暇状態になります。欧州で開催される時には大体勤務時間と重なりサッカーが気になって仕事に身が入りません。パラグアイの試合の時には完全に国がストップします。国全体が仕事をストップしてテレビ観戦をします。ただ、仕事をする者にとっては頭の痛い事です。この期間は効率が落ちる事を念頭に入れて仕事の計画を立てる必要があります。

ただサッカーが国民全体から好意を持たれているとは限りません。日本ではサッカーと言いますと洒落たスポーツという印象がありますが、南米では庶民のスポーツという見方が一般的です。表には余り出しませんが、嫌悪感を抱き貧乏人の下品なスポーツと見ている人も少なくありません。また女性で関心を持たない人も多いのが特徴で、あれは男どもの野蛮なスポーツと看做しているようです。それでも全体的にはサッカー一色なので、相手がどこのチームのファンなのか知っている事は重要です。多くは二つの人気チーム「セロ」と「オリンピア」のファンなので、若者が来ますと「セリスタ:セロのサポーター」か「オリンピスタ:オリンピアのサポーター」か聞くようにしています。打ち解けて話をするにはサッカーの話題から話を始めるのが手っ取り早いように感じます。



ある方に「パラグアイで観光はどうですか?」と尋ねられた事があります。個人的には観光産業はこれからは大いに有望だと思っています。ガイドブック等で「パラグアイは何も無いのでのんびり過ごしましょう」とありますが、それもひとつですが、本当に何も無いのでしょうか?これも製品と同じようにニッチ市場を目指せば可能性は大きいと思います。

外国人観光客と言いましても大別して二つに分けられるでしょう。一つはアルゼンチン、チリ、ブラジル等近隣諸国からの観光客そして欧米、日本・韓国等の北半球先進国からの観光客です。数年前までは近隣諸国からの観光客はかなり多く、長期休暇の時期には大型バスで多くの人がやって来ていました。近隣諸国からですと身分証明書だけでパスポートは不要で、気軽に旅行する事が可能であり言葉も同じで国内旅行の延長気分で旅行していると思われます。そしてその際の主な目的は買物でした。ブラジルからは大型バスが何台も連なってエステ市に入っていました。ブラジル国内と比較し魅力的な商品がずっと安く手に入るというので人気がありました。時代は変わり現在は経済のグローバル化が進行してブラジルにも世界から最新の製品が流入しており、商品の価格、品質の差は次第に少なくなり、専門の担ぎ屋さんを別として一般の観光客が買物を目的にパラグアイに来るケースは激減してしまいました。この為にエステ市は街の存続も危ぶまれる状況に追い込まれてしまいました。

先進国からの観光客は個人を別としますと、欧米からのエコツアー等が来るくらいです。具体的には英国・フランス等からチャコ地方のまだ手付かずにそのまま残っている自然を見に来るというものです。コンセプシオン等に数泊して雄大な自然を堪能するというものです。パラグアイ河の上流ボリビアとブラジルの国境付近はパンタナルの一部になっており、交通の便は余り無く行くのは大変でしょうが、そこまで辿り着けば大陸の雄大な自然があるのでしょう。ただ大陸の中央に在るパラグアイ、隣国アルゼンチン、ブラジルにも同じような景色がもっと大きく存在しており、ボリビア・ペルーにはアンデスの美しい山が在り、近隣諸国に対しては比較優位にはなりえません。最近はブラジルからドラード等を目的に釣り客が増えていますが、これも資源に限界があり、これ以上の大きな展開にはなり得ないと思っています。

いわゆる観光地として世界の人に見ていただけるものはかなり限られているのは事実です。ミッションとして有名なイエズス会の町の廃墟がトリニダー等数箇所あり、これは世界遺産にも指定されており、一見の価値はあると思います。しかしながらこれもパラグアイだけというわけでは無く、ブラジル、アルゼンチンの広い範囲に遺跡が残っています。その他に見て興味をひく場所というはほとんどありません。このような理由で余り観光には適していないとして日本からのツアーも無いのが実情です。

それでは何を見に来てもらえるかと言いますと、個人的にはパラグアイそのものだと思っています。レトロで牧歌的、他のラテン諸国とはまた違った雰囲気を味わってもらうのが良いと思っています。エコツアーを始め既成のパターンではどこも比較競争力が乏しくパラグアイに勝てる見込みは無いと思います、それであれば「パラグアイ」らしさを前面に出して行くことで活路を見出すのが上策だと思います。アスンシオン市は買物以外の観光で訪問する人は非常に少なく市内観光バスなどというものもありません。しかし街をあるくだけで初めて来たけれど懐かしいという雰囲気があります。またそこで生活している人を眺めるだけで楽しいものがあります。中内渚さんが街の様子を描いていますが、このような視点で街を歩くのは楽しいと思います。またアスンシオン近郊一日体験ツアーというのはどうでしょうか?アスンシオンでアルパ製作の工房を見学、ルケで金細工を見、アレグアで陶器、サンベルナルディーノで昼食を食べ、カアクペでパラグアイの信仰の中心である寺院を見物しその門前町の土産店を覗き、ピリベブイを経由してイタグアでニャンドゥティの店に立ち寄りアスンシオンに戻るというものです。途中でイタで日本の城を見物するのも良いでしょう。

アスンシオン以外では南部のイタプア県、日本、ドイツ、ウクライナ等の移住者がモザイクのように住んでいるイタプアなども訪問するだけで面白いと思います。ドイツ系のホテルで欧州を味わい、自動車で10分で日本の農協へ、そこからロシア正教の教会を訪問する・・このような事を作られたテーマパークでは無く本物が体験出来るというのは魅力だと思います。

そして北部パラグアイには雄大な景観とレトロな世界が広がっています。道路事情も悪く、バス等の公共交通も十分ではないので、旅行するのには苦労されるでしょうが、それだけの価値はあると思っています。北部を一周している時に頭に浮かぶのは「ここはどこ?今は何時?」という事です。世界の色々な場所を旅行していますが、北部を旅行しますと少なからずカルチャー・ショックを感じます。

アマンバイ県は奇岩が並び、そして3国戦争最後の激戦地となり、マリスカル・ロペスが戦死したセロ・コラ国立公園があります。ペドロ・ファン・カバジェロはブラジル側のポンタ・ポラ市と一体になっており、中心の通りが国境という非常に特殊な街です。国境に慣れていない日本人には奇異な感じがあります。コンセプシオン県は北部パラグアイの中心都市であるコンセプシオン市があります。ここでは牛馬がまだまだ中心であり、舗装道路もほとんど無く、渾然とした市場を見ていますと時間が経つのを忘れてしまいます。またサン・ペドロ県は実に多様性に富んだ県です。国内の人の中ですら「貧しくて何も無い場所」と思っている人が多いようですが、昔ながらの生活をしている地元の人、そしてドイツ系の人達はドイツ語ともオランダ語とも異なる「フリースランド語」なる言語を使って生活しています。宗教上の理由で自動車・テレビ等の機械を拒み、100年前のような生活をしている方達も居ます。このような場所に実際に足を踏み入れますと「本当にこれは現代なのか?そして南米なのか?」と頭が混乱してしまいます。

そして日系に関しては移住地の活用があると思います。ブラジルのホテルでは長期滞在者の為に日帰りツアーを用意しているケースがよくあります。イグアスの滝見物にフォス市(ブラジル)を訪問した観光客を相手にミニ日本体験ツアーというのは如何でしょうか?一日日帰りイグアス移住地観光というもので、イグアス移住地の日本らしさを見物してもらい、レストランで和牛のすき焼きを食べるというようなものです。特に新たな準備をしなくても今のままで十分に日本的ですので、ありのままを見物してもらうという嗜好です。

ただ前提条件としてインフラ整備が必要であると思いますが、それ以前の問題として空港で外国から訪問した人が気持ち良く出来るようにする事が肝要であると思います。税関はたかりの精神を捨て、ハイエナのように群がる荷物運びの連中を排除する事が必要でしょう。初めての国を訪問する時に誰もが不安を抱えるものです。観光局の職員が到着客の案内・世話をするぐらいの姿勢があれば良いでしょう。飛行機が到着してホテルに着くまで快適であればそれだけで国の印象が良くなり、リピターも増えるでしょう。一つのアイデアとして空港に馬車を並べホテルまでタクシーとして利用してもらうというのはどうでしょうか?時間は多分1時間以上はかかるでしょうが、タクシーと同じ料金であれば観光客は喜んで利用すると思います。ちょっとした工夫、アイデアを積み重ねれば魅力溢れる観光地に変身すると思います。

そして法律の整備も大切でしょう。例えば現在日本からですと90日間の観光は査証が要りませんが、留学や長期滞在の査証に関する法令の整備が不十分であると思います。一年そして4~5年の滞在査証を発行すれば長期滞在者やスペイン語等を勉強に来る方にもっと来ていただけるように思います。アルバイトが出来る、就労が可能な短期査証というようなシステムがあれば若者を惹きつける事が出来るのかも知れません。コスタリカのシルバー向けの政策などが参考になると思いますが如何でしょうか?

2008年日系ジャーナル新年号に掲載されました在パラグアイ日本商工会議所・会頭挨拶を転記します。





新年あけましておめでとうございます。皆様にはご健勝で晴れやかな気持ちで新しい年を迎えられましたことと、お慶び申し上げます。

さて、新たな年を迎えるにあたり、最近の会議所の動きを振り返り、今後の活動に関して簡単に述べて参りたいと思います。

2005年、2006年は会議所にとりまして大きな行事がまさに目白押しの状況でした。2005年5月に創立30周年記念式典を挙行し、同年10月には会議所メンバー約十名が大統領訪日に公式随行し「パラグアイ・ビジネスセミナー」を開催、2006年にはジェトロと当地の「パラグアイ国・商工省輸出振興局」(プロ・パラグアイ)等の共催で「ボリビア・パラグアイ・ウルグアイ三カ国展示会」が開催され、会議所自身も一出展者として参加、併せて「ビジネス・セミナー」の第二弾を実施、翌週には「横浜・ワールドビジネスサポートセンター」において「パラグアイ産品展示商談会」が開催され、これに出展し併せてビジネス・セミナーを主催いたしました。また、アスンシオンにて11月2日に移住70周年を記念して行われました秋篠宮殿下奉迎式典では副委員長を務めさせていただき、会議所は物産展示を担当いたしました。

昨年、2007年は年間を通じて特に大きな行事は無く、久しぶりに「通常の年」として腰を据えて活動を行って参りました。月に一度の月例定例会においては各分野の専門家に講師として来ていただき、パラグアイの経済活動に対して色々な側面から学ぶ事が出来ました。幾つか例を挙げますと4月にはコパコ社・PARAWAY NETインターネット部門部長-アルフレード・モレイラ技師にパラグアイのインターネットの現状と将来に関してお話をいただきました。世界的には高速通信が安価で利用出来る状況となっており、インターネットのインフラ整備の遅れ当地への投資に対する阻害要因になっている事は当事者としてもよく認識され、より高速で廉価なサービスを提供出来る様努力されている事がよく理解出来、他の国と比較して多少時間はかかるにしても確実にサービスが向上するものと確信し、安心しました。

また5月には米州開発銀行のプロジェクトで当地に滞在されていました関田宏一氏(中央開発株式会社)に「アスンシオン大都市圏の地下水について」説明していただきました。我々が住んでいるアスンシオン大都市圏で利用しているパティーノ帯水層の水は海に浮かぶ小さな船のようなものでそれを利用してアスンシオンの人達は生活をしている。現在でも収支を取ると地下水として流入する量よりも使用している量が多いので、このまま放置していると近い将来、枯渇、塩水化する恐れが強い、また生活廃水そして医療廃棄物などの有害物質が地下に浸透し地下水の劣化が懸念されるとの事でした。上下水道が充分整備されていない、廃棄物排水の処理が適切に為されていない事が懸念材料であり、今後のアスンシオン大都市圏では大きな問題になって来る事がよく理解出来ました。

また、10月には商工省通商局長ブルーノ・ウグ・デ・ベルモン氏に「パラグアイと日本の通商」についてお話をいただきました。両国の貿易統計そしてメルコスールと日本との貿易統計を独自に解析され、将来的に日本向けに輸出が増える可能性のある産品を指摘していただきました。パラグアイ政府の直接の担当者からの話であり非常に参考となりました。これらの毎月の講演議事録につきましては要旨を弊会議所のウェッブサイトに掲載しておりますので、関心のある方はご覧いただきましたら幸いです。

本年のもう一つの大きな活動して挙げられるのがパラグアイ日系社会の将来について具体的に方策を練り上げて行く事です。2月と8月の2回、日本大学国際関係学部国際文化学科・福井千鶴准教授並びにコンサルタント会社を経営されている前川昌道氏に講演を行っていただきました。お二人は長年ボリビア、コロンビアの日系社会を対象に分析研究をされており、福井先生には「南米日系人専門家養成と現地企業活性化プログラム」、前川さんにはボリビア・サンタクルス州の移住地の聞き取り分析をまとめた「移住地の発展と課題について」に関して講演を行っていただきました。従来の単純な出稼ぎから一歩進め、出来ればIT、通信の分野等今後更に伸びていく分野における専門家となる訓練を日本で働きながら行い、日本から帰国した後、起業出来るようにするべきであるというがその趣旨でパラグアイにおいても実施出来るのか今後の検討課題であると考えております。また、9月には福井先生はゼミで学んでいる日大の学生11名を引率され研修旅行に当地を訪問されました。会議所が受け入れ窓口となり、イグアス移住地、セントロ日系、日系福祉センターの皆様にご協力をいただき、それぞれの場所で若者同士の交流懇談会を開催し意見交換を行いました。日本で普通に生活する若者と当地日系の若者は双方大きな刺激を受けたようで、このような活動を今後も続けて参りたいと考えております。

米国での金融不安からドルへの信頼が揺るぎ、その影響で昨年の後半かつて無い程当地通貨グアラニの対ドル相場が上昇しました。石油が高騰しバイオエネルギーの需要増加で穀物相場が高留まりになっています、また、ブラジルでは大油田が発見され注目されています。これからも今までの常識を覆すこのような予想を超える経済事象が出て来る事でしょう。会議所では出来るだけ広範囲に情報を収集し時代の変化を読み取る努力を続け、また新たな課題に取り組み挑戦を行って参りたいと考えております。なお、ハマナスセンター内に会議所事務局があり、毎日平日の午後(13:30~18:30)桑折久太郎(こおりきゅうたろう)事務局長、井上はな事務局員の2名が勤務しておりますので、相談、問い合わせ等ございましたらお気軽にお訪ね下さい。

本年も引き続き、会議所の活動に対して広く皆様のご理解とご協力、ご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

最後に本年が皆様にとりましてご健康で実り多い良い年になりますことを祈念し、新年のご挨拶とさせていただきます。






ある隣国出身の日系の友人と話をしておりましたところ、「ラテンアメリカの中でもパラグアイは特に男性社会だ」と言うのです。どういうことなのか訊いてみますと「まず未婚の母が多い、男が強いから"孕ませて逃げる"等と言う身勝手な行動が取れ、未婚の母が増えるのさ」という説明です。確かにパラグアイは未婚の母が多く、またそのような人を全く特別視しない風潮があります。そして「エレベーターに乗る時、チリでもブラジルでも近隣諸国であれば、女性を先に乗せるし、下ろすでしょう、パラグアイは全くそのような事は無い」と言うのです。確かにブラジル等では「レディー・ファースト」が徹底しており、女性よりも先に乗ろうものならおばちゃんに睨まれるのは間違いないでしょう。このようなマナーが出来ていないのは南米の田舎者のせいなのかも知れませんが、しかしもしかしたらそれだけでは無いのかも知れません。

アスンシオンで街角にあるお店などを覗いてみますと女性が働いて男性はテレレを飲んでいてサボっているという光景もよく目にします。どうやら女性が働いていて男性はのんびりとしていることには余り抵抗感は無いようです。勉強の面でもどうも同じような傾向があるようで学生、高校生などを見ていましてもさぼって余り勉強しない男性を尻目に頑張る女性が多いように見えます。日系社会も例外ではないようで女性の進学率の方が高いように見えます。これは歴史の影響もあるのかも知れません。130年ほど前の3国戦争で壊滅的な打撃を受け、男性の数が極端に少なくなり、数十年にわたり男性は希少価値である時代が続き、その影響が未だに残っているのかも知れません。一度染み付いた習慣というのはなかなか取れないのでしょう。

その割には他の国のような「殿方の遊び場」というような場所がありません。日本ですと例えば「新宿歌舞伎町」は一大歓楽街、当方などはこの街を歩いていますと、紫やピンクの妖しい光につい惑わされてしまいそうになります。ブラジルの中心都市、リオ、サンパウロにも内容は異なりますが、同じような商売をしているお店が大きな顔で営業をしており、歓楽街を形成しています。これに対してアスンシオンではそのようなお店はまず目にしません。一部に目立つ事無く存在しているのでしょうが、少なくとも歓楽街のような場所は全くありません。外出する場所としては家族もしくはカップルで食事を楽しむような場所で殿方だけでニヤニヤと・・というような光景は全く目にしません。これは本当のところは頑張っている女性が強いからなのかも知れないと思っています。表立って男どもだけで楽しみに行く様な雰囲気ではないのでしょう。





パラグアイにも当然の事ながら外務省があり、独立国家としての外交政策があります。パラグアイの外交政策の基本的な考え方は「時流に乗り、逆らわない」という事のように思います。独立した当初は独自の発展を遂げ南米の雄としてナポレオンのような帝国を目指していました。野望を持つ指導者の元、帝国拡大の為の戦争を起こし、その結果は惨憺たるものでした。戦争には総動員体制で臨み、男性国民の多くは死亡し国家は疲弊してしまいました。ブラジルの軍隊が首都アスンシオンを占領し戦争は終結、国土は半分に削られ、国民の数も激減しました。ここからパラグアイが学んだ事は流れに乗る、両大国との関係を重視して行くというものです。以来アルゼンチンとブラジルの両大国との外交がほとんど全てであり、両国の隙間を縫って生きて行くというのが基本戦略となりました。欧米も日本もその向こうに在る国、伯亜両国のその大きな存在が存在が全てでした。強い方に付く、利益がある方に味方する、経済もその隙を巧みに利用して行くというものでした。

大きな転機はメルコスールの発足です。メルコスールは当初は四カ国でスタートしましたが、基本的にはブラジルとアルゼンチンの同盟です。地理的にこの両国に依存しているパラグアイとウルグアイはこれに追随するしか道が無かったと言えます。ブラジルは自身が南米そのものであり、残りの弱小国家はブラジルに従っていればそれで良いと考えている節があります。統合のコストを支払わすに自国を中心とする経済圏、要するに経済的には他の加盟国の植民地化を狙って来ました。パラグアイでは当然メルコスール反対の動きがありますが、そこは何となく時流に乗ることで凌いで来ました。ここに来て反米的な政権・ベネズエラが加盟し、メルコスールの中身自体が変化しており、必ずしもブラジルの意思だけでは動かない状況となっていますが、これはパラグアイにとっては望ましい事なのかも知れません。

パラグアイの外交の中で目に付くのは台湾の存在です。台湾・中華民国を承認しているのは現在世界で25ヶ国です。アフリカ、太平洋の小島、そして中米・カリブの国がほとんどでパラグアイは南米唯一の国です。ある意味では一番まともな国家なので、台湾政府は大事にしています。数年前に国会議事堂が建て替えられましたが、これも台湾が資金援助しました。国権の最高機関である国会を他国の資金をあてにして建てるというのは如何なものかと思いますが、パラグアイでは「いただけるものは喜んでいただき、使えるものは使いましょう」という姿勢があり、特に問題にはされないようです。台湾政府は国際的な援助のルールを超えて例えば省庁のランニングコストに当たる部分にまで資金援助しています。では何故台湾承認国なのか、という事ですが、歴史的に反共であった事が挙げられると思います。1989年まで続いた独裁的な政権にとっては反共を看板に掲げ、冷戦下で親米をアピールした方が徳であったからだろ思います。冷戦終結と共に独裁的な政権も終わりを告げましたが、現在に至るまで同じ政党が政権を維持しており、基本的な構造には変化がありません。お金を出して支えてくれる国家と断行する事など考えてもいないでしょう。経済的には大陸の中国政権とも既に密接に繋がっており、今更ここで断行して中国と国交を締結しても利益は少ないと見ているのでしょう。中国の狙いは資源大国であるブラジル・アルゼンチン、ベネズエラであり、パラグアイに特に関心を寄せる事は無いものと思います。ただし、ここで問題となっているのはメルコスールと中国との自由貿易協定・FTAです。メルコスールと中国とがFTAを締結するにはパラグアイが邪魔になって来ます。国交も無いのにFTAを締結する訳には行きません。今後中国政府の圧力は増して来るでしょうが、貴重な資金供給源となっている台湾政府と断行する事はまず現時点では無いと見ています。メルコスールと中国が関係を深める中でパラグアイと台湾との外交関係が一つの焦点となっており、パラグアイとしてもこれを利用して行く事でしょう。

日本との関係もパラグアイは逆らわない事が基本となっています。パラグアイは貰い上手な国です。何か援助資金・物資を貰うとけなげに喜んで見せます。大げさに歓迎式典を開催し、相手に喜んでいる意思を素直に示します。パラグアイは多額の援助を日本から受け取っていますが、これに対する外交政策は巧みです。国際社会の場で日本が提案する事に対して直ぐに賛成して見せるのです。例えば最近では日本が常任理事国になるという事で国際社会に働き掛けをしましたが、パラグアイは真っ先に賛成をしています。日本に対しては常に「親日国」を示す事で多額の資金援助を受けて来ました。そして米国に対しても近隣諸国とは多少異なった政策を打ち出しています。ポピュラリズムの台頭で南米では反米左翼的な政権が次々に誕生している中で親米をしっかりと全面に出し米国に協力する姿勢を見せています。これの方が徳であり、利益があると見ているのでしょう。深く熟考して外交戦略を立てているとは到底思えないのですが、利のある方に付く、流れに乗るという基本戦略が成功しているように見えます。両大国に挟まれて時流を見る感覚は確かなように思います。







パラグアイに来て街を歩いて感じるのは「デブ」が非常に多いという事です。南米は大体において太っている人が多いは事実です。以前アルゼンチンが金融危機に陥った時に銀行に庶民が列を作って並んでテレビに向かって政府へ生活が困窮していると不満を訴えていましたが、どの人も丸々と太っていて世界からの同情を得るには至りませんでした。デブが多いこの南米にあってもパラグアイは特に多いのではないかと感じるのです。以前NHKで世界の様々な地図を見て考える番組があり、その中で「肥満」を取り上げていました。世界の国を肥満度に分けて色を付け塗り分けた世界地図が画面に出て来ました。肥満度最高を示す赤色は何と米国とパラグアイの二国だけでした。実際にパラグアイは世界最肥満国家のようなのです。

食生活を振り返りますと、好きな物は牛肉、それを毎日大量に食べている人が多いと思われます。パラグアイ人の食生活を見ていますと基本は「牛肉・マンジョカ芋・マテ茶」だと思います。これは貧富の差に関係無く同じであるように見えます。先進国ですと貧乏人と金持ちが描く「ご馳走」は別のものであり、実際に毎日食べているものもかなり異なると思います。贅を尽くした料理、高級料理というのは材料から違っているというのが他の国では常識で、例えば中国であれば満漢全席というのがありますが、熊の手を始め普通では手に入らない超高級食材が並びます。日本においては例えばフグ、マツタケなどは庶民には縁遠いもので、当方も今までの人生でどちらも口にした事がありません。興味はありますが、実際に食べた事が無いので食べたいと考える事もありません。多少お金があるならば美味しいウナギかお寿司でもと考えてしまいます。(どなたかご馳走してくれるのであれば喜んでお伴しますが・・)

パラグアイにおいてはご馳走のイメージは貧富の差が無く同じなのが特徴です。国民だれもが頭に描くご馳走のイメージは牛肉を焼いたアサードとマンジョカです。金持ちのパーティーでも貧乏人の集まりでも基本的なメニューは同じなのです。デブが多いのですが、一般の常識からすると栄養が足りている金持ちの方が太っていると考えます。多分昔の世界ではこのような現象があったのでしょう、パラグアイでは貧富の差に関係が無いように見えます。むしろ貧困層に太っている人が多いようにさえ見ます。中には歩く事も出来ないようなデブが居ますが、多くは金持ちではありません。では何故そうなるのでしょうか?一つの原因は肉の質にあると推測します。肉の値段は部位によって違うのですが一般的に油脂が多い程安い傾向があります。この結果として収入が少ない人ほど油脂分が多い肉を購入する結果となります。富裕層であれば例え油脂分が付いていても取り除く人が多いでしょうが、貧困層では全部食べてしまうでしょう。また富裕層ではしっかりとした教育知識もあり、肥満に対する知識もあり、体型を保つ意識も高いと推測します。

このような食生活を続けて肥満であれば、当然成人病が多いと思いますが、医者に聞きますと確かに多いそうですが、想像している程では無いようです。成人病予防には大量の食物繊維を摂取する必要があるようですが、パラグアイ人は大量にマンジョカ芋を食べる事で賄っているのでしょう。野菜をほとんど食べないパラグアイ人にとってビタミン等が含まれているマテ茶は必要不可欠なものなのでしょう。時代が変化し食生活にも変化が出ていますが、パラグアイ人は食に関しては非常に保守的で、今後も余り変わる事は無いでしょう。むしろ最近牛肉の質が向上しており、ますます牛肉を食べる傾向が強まるのでは無いかと想像しています。そうであれば肥満大国はしばらく続くと考えて間違い無いと思います。




エンカルナシオン市はパラナ川に沿って出来た街です。エンカルナシオン市街地には元々高低差があり、下町商店街と上町商店街がありました。より賑わっていたのは下町の方で川岸にも近く高級感があったそうです。パラナ川はアマゾンに次ぐ南米大陸第二の大河であり、現在ではこの付近ではパラグアイとアルゼンチンとの国境となっていて対岸はアルゼンチン・ミシオネス州の州都ポサダスです。

この大河の非常に大きな水量を利用しようと、水力発電所が計画され、ここから2百キロ程上流のパラグアイとブラジルの国境では世界最大の発電量を誇るイタイプダムが建設されています。これによりブラジルのかなりの部分の電力が賄われています。アルゼンチンでも電力不足が深刻となり1973年にパラグアイ、アルゼンチンとの間で水力用ダム建設が合意され1978年より工事が開始されました。上流のイタイプダムの場合には数百年前に近く変動があり、段差が生じ支流のイグアス川には巨大な滝(イグアスの滝)が出来ています。この自然の高低差を利用して大きな出力が可能となっています。下流のこの辺りは平地であり大きな段差は無く傾斜も相当ゆるやかになっています。大きな出力を得るために堤防を高くする必要があり、人造湖となる上流側の水位を上げて行く必要があります。この為に両政府は時間を掛けて浸水する地域の生態系を調べ、自然への影響を最小限にする努力を行い、また土地を喪失する人達に対して補償を行って来ました。

この中で最後まで大きな問題として残っているのがここエンカルナシオン市の下町です。ヤシレタダム公団そしてパラグアイ政府は下町の住民に対して代替地、住宅を用意するなどして来ましたが多くの住民は納得せず、そのまま住んでいます。また交渉に応じて引っ越した人の跡地に別の人が住みつき結局は多くの住民が住んでいる状態が続いています。既に水位はかなり高くなり大雨が降りますと下町商店街地域でも頻繁に浸水するようになっています。ヤシレタダム公団では年明けにも更に水位を上げる計画で影響を受ける道路、橋などの架け替えを急いています。多くの住民は公団の提示した退去の条件に納得せず交渉は難航していますがタイムリミットは迫っています。





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下町の実際の様子を見ますとゴミが散乱し、商店の他無秩序に露天商が並び衛生上でも問題があるように見えます。立ち退きに際して補償で揉めており近い将来に浸水する事は誰もが分かっているので、建物の補修、ペンキの塗り替え等は必要最小限に留められており、状況は悪化しているように見えます。道路によっては「閉鎖」という場所もあり、しばしば浸水しているので道路の状態も悪く市街地として機能しているとは言えず、日に日にスラム化しているというのが実情のようです。交渉は難航しており、お役所仕事的に処理しようとする公団側と少しでも良い条件をと望む住民側との最終決着にはまだしばからくかかりそうですが、水位が上がるタイムリミットが迫っており住民の最終決断の日は迫っています。公的施設並びに大半の商業施設の移転は終了しており、多くの市街地が浸水する反面新市街地が出来より効率的な都市として再出発出来る利点はあります。海が無いパラグアイですが、大きな人造湖畔に在る都市としてすばらしい景観を有する都市として存在感を増すかも知れませんね。






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今年の定期総会は3月08日午前11時からセントロ日系イタグア本部で開催されました。雨が降りしきる中、セントロの運営に関して熱い議論が行われました。また役員改選が行われ、川田忠会長に代わり石橋道雄(エドワルド)さんが新会長に選出されました。

会長:石橋道雄さん、副会長:川田忠さん、副会長:前原誠三さん(2009年/2011年)



下記の写真は新執行部のみなさん、中央が石橋会長

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総会の後は楽しく皆でアサードをいただきました。



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アスンシオンと東京を直線で結ぶと18000キロ離れている事が分かります、本当に遠いですね。中間地点はそれぞれの地点から9千キロという事でロスアンジェルス付近の太平洋上という事になります。東京とサンパウロを直線で結ぶとニューヨークの付近を通過するので随分ルートが異なりまし、サンパウロよりは短いのですが、それでも対蹠点までの90%という事になります。

アスンシオン、東京から正距方位図法で同心円を描くと下記の通りになります。同じ地球上に居ても見えている世界が異なるのが実感出来ます。最初の円は2500キロである程度近くにある地域と実感出来ます。東京からですと朝鮮半島、台湾、中国主要部などが入りこの辺りまでが近い場所です。アスンシオンからですとブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビア、チリの主要部が入ります、アスンシオンから感じる近い地域です。次に5千キロを見ますと東京からですと、ガダルカナル、インパール、アッツ島など日本が第二次世界大戦に最大に版図を広げた一番外側に当たります。この5千キロラインの地点で敗戦を喫しその後ほとんど反撃する事も出来ず終戦となっています。インドやオーストラリアそしてアラスカの近くで日本からの実感としては日本に影響を及ぼす可能性のある一番遠方の地点というのが実感でしょう。アスンシオンからですと南米全域のみがこの円の中に入ります。パラグアイの人達が南米のみが自分に影響する地域と感じているのは当然であると言えます。

一万キロという距離は地球の反対側までの半分、遠いが何とか意識がある地域であると思います。東京からですとアフリカと中南米を除くほぼ全域が入ります。日本の中学の地理の教科書で中南米とアフリカについて教えていないのは外の地域という感覚があるからだと思います。アスンシオンからですと北米、西欧アフリカの半分が入ります。南米とアフリカは確かに距離的には欧米と同じくらいもしくはそれ以上に近いのですが交流は限定されており、実際の距離よりは遠い印象があります。パラグアイからですと米州と西欧までが意識する世界であるのも頷けます。


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日本を含む世界60ヶ国ほどで800店舗を展開する「T.G.I. Friday’s」がパラグアイでオープンしました。日本では約10店舗ほどが六本木、品川など東京を中心にあるそうです。

開店した店の場所はエスパーニャ通り沿いでカルメリタ・センターの向い、以前「シュガー」があった場所です。世界共通の赤と白のストライプのユニフォームを着ていますが、どう見てもパラグアイナショナルチームのユニフォームに見えてしまいますね。パラグアイでは人気が出るかも知れません。食べ物は世界共通のアメリカンスタイルとしています。米国風の料理をいただきながらビールもしくはカクテルをいただくという訳です。




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エンカルナシオン市内には色々なレストランがありますが、現地の人に特に昼食に人気があるのが「あじさい」です。ビュフェスタイルで、重量、目方を計って幾らというスタイルです。

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8月上旬はイチゴの季節で多くの人が旬の味を求めてやって来ます。中心部を少し過ぎた辺りにイチゴの市が立ちます。ざっと20軒ほどのイチゴ販売店が並び壮観です。

大きな籠に1キロ~5キロ程度のイチゴを入れて売っています。値段は統一されており、今年はキロ8千グアラニ(約200円強)、皆さん親戚や友人の分も買うのか5,6キロは買っています。並べ方、販売方法にはそれぞれ個別の工夫があるよう、ジュース、ジャムなどの加工品を売っている店も多くありました。

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五万グアラニ札が偽札が出回りデザインを一新しました。今回は多色刷りとなり、また初めて肖像に文化人を起用しました。今までの五万札は十万と似ており、間違える事もありましたが、これではっきりと違いが分かります。

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次期大統領は元司教という経歴で独身、私欲が無く金銭には余り関心が無い事を強調しています。選挙翌日に行われた勝利会見でもノーネクタイ、サンダル履きという従来のスタイルのままでした。8月15日の大統領就任以降においてもこのスタイルを続け、豪華な大統領公邸には住まず、現在住んでいる家に住み続けると表明しています。なお、政権の要となる財務大臣にディオニシオ・ボルダ氏が指名されました。ボルダ氏は2003年、現在のドゥアルテ政権発足当時の財務大臣で2005年まで務めました。赤党政権で活躍した人も有能であれば登用する事を示す狙いがあるように思います。政策として出ている項目は例えば官僚主義の撲滅、借款・無償の効率的運用など至って常識的な事ばかりで大きな政策の転換は無い事で内外の不安を取り除く意図があるように見えます。南米各地で大衆迎合的な左翼政権が誕生していますが、エバ・モラレス(ボリビア)ウゴ・チャベス(ベネズエラ)反米過激的な政権とは一線を画し、急激な変化を引き起こすような政策は取らずブラジルのルーラ大統領のようなどちらかと言うと現実的な路線を取る中道左派政権と思われます。
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4月20日に行われる大統領選挙まで残すところ、残り1ヵ月となりました。与党内の大統領候補の予備選では不透明な面があり、与党・赤党が一丸となっているとは言い難い状況にあり、予断を許さない形勢になっています。有力4候補の内、ファドゥル候補は余り人気が無く脱落という感じで、残る3候補の熾烈な争いとなっています。

有力紙の世論調査を並べてみますと各紙ともルーゴ候補の優勢を伝えています。追うオビエド候補、与党・ブランカ候補はほぼ横一線という情勢です。

2月末~3月上旬に行われた各紙世論調査

- ウルティマオーラ ABC  ナシオン ICA
- - - - -
ルーゴ 37.90% 39.00% 34.80% 31.90%
オビエド 29.70% 21.50% 23.00% 24.90%
ブランカ 29.60% 21.10% 28.90% 27.50%
- - - - -
合計 97.20% 81.60% 86.70% 84.40%


なお、前回の選挙で当選した現ニカノル・ドゥアルテ大統領の得票は37.1%です。

ここ数回の大統領選挙を見ていますと与党赤党は組織力を生かし、作戦としては他に有力な候補を二人立てさせて(青党系・独立系)それを上手に操り、最終的には40%、30%、30%の得票として勝利を得るというのが基本戦略のように見えます。今回もオビエド、ルーゴ候補を出して4:3:3にする作戦と見ています。ただここに来て世論調査の結果からみますと40%に迫っているのはルーゴ候補になっています。与党選挙対策関係者の思惑としてはこの時点くらいにはブランカ候補がこのくらいの割合を取り取り逃げ切る作戦であったのが誤算が出ています。

ここまでの今回の選挙の特徴を記しますと、
(1)別に候補を立てると見られていた青党が独立系のルーゴ候補と結んだ
(2)与党候補も毎回前政権との違いを出し「改革」を唱えて成功して来たが、今回はニカノル・ドゥアルテ政権の継続を全面に打ち出し、ニカノル・ドゥアルテ院政の印象がある
(3)本来赤党の地盤である保守的な農村部をルーゴ、オビエドが支持を伸ばしている
(4)毎回出て来る知的で企業家の有力候補が居ないのでインテリ層・企業家層が不動化している。前回この層から支持を受けたファドゥル候補は今回は数パーセントの支持率に留まっている。

残り1ヵ月でどのように情勢が変化するのか、赤党が組織力を生かしあらゆる手段を講じて勝ちに行くのか、再度の合従連衡が起きるのか、注目です。半世紀以上与党赤党が政権を握り、それなりに安定して来たパラグアイ、もし与党が負けて政権後退が起きると何がどうなるのか全く想像出来ないというのが本音です。

これから一ヶ月でどのように支持率が変化するのか、多くの人が誰に投票するのか決めかねている状況であり、まだ誰が本当に勝利するのか分からい情勢です。赤党内では優勢に選挙戦を進めていないとの認識から危機感があり、指名争いを激しく争ったカスティグリオーニ氏がオベラル支持に廻るのかがポイントです。実際には変化を求めない保守的な人も多いのが実情であり、候補者が誰であれ赤党候補に投票する人も多いと思われます。ただ与党赤党が勝利した場合においても僅差の勝利となり、過半数獲得は難しいでしょう。党内は分裂したままであり、オベラル女史の求心力は未知数であり、また選挙に際して多くの約束、空手形を発行すると思われるのでポストなどの分配に手間取る事があると思います。政治的に指導力を発揮して国民の期待に直ぐに対応出来ない場合には難しい政治局面となる可能性もありえます。


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パラグアイの夏の果物としてまず思い浮かぶのはマンゴーです。大きく芳醇は果肉は皆大好きです。町のスーパーや街角で売られています。

値段が安くて美味しいのはカアクペ付近の街道沿いで売られているものです。15個で15000グアラニ、要するに1個千グアラニ、日本円にして25円ほどです。一個の大きさは相当なものです。

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開店は2007年の11月30日、パラグアイには数軒のペルー料理店があり、そこで長年勤務していたパラグアイ人がシェフの店。ペルー料理14年のベテランなのだそうです。店の名前はそのままサボール・ペルアノ要するに「ペルーの味」です。場所も良く綺麗にしており、お客様と来ても良いと思います。

料理は海産物中心でアンティクーチョ等の肉料理はありません。4人前(160,000グアラニ:約4千円)というコースがありますが、これは最初にセビチェ、揚げ物そしてチャーファです。セビチェには色々と種類がありますが、お勧めはパラグアイで取れるスルビのセビチェ、揚げ物も各種ありますが、これは色々なものが入っているミストが良いでしょう。そしてご飯は「チャーファ」です。これはチャーハンと音が似ており、何でも中国人が広めたと聞いています。見た目も味も炒飯に似ています。

SENADOR LONG 847 C/ESPANA ASUNCION
TEL 0982-535-800
月曜日~土曜日 11:00~15:00 19:00~24:00
月曜日     19:00~24:00
日曜日     11:00~15:00 

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パラグアイのサバイバル・ゲーム―“南米のへそ”世界一親日国の秘話
船越 博 著

(ISBN-10: 4789300552 ISBN-13: 978-4789300551 )
出版社名 : 創土社 (2007/12)  187P 

1989年に起きたクーデターに関して大使館参事官として勤務していた著者がその経緯を詳細に記録したもの。刻々と変化する情勢を臨場感溢れる描写をしている。

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営業時間が長く配達もしてくれるという便利なお店が「イル・マンジョーレ」です。肉料理もあり、入り易い雰囲気、駐車場が広い等の利点があり、人気があるお店です。場所はエスパーニャ沿い、セントロから空港方面に向かい、サン・ラファエル通りの交差点を過ぎカテドラル薬局の手前になります。
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喫茶店・アイスクリーム店の激戦地区であるエスパーニャ通りに小奇麗なアイスクリーム店が開店しました。綺麗なお店で半分がアイスクリーム・喫茶店、右半分は自社製品の直売店になっています。直売店では乳製品などを販売しています。
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ミゲル・ソラーノ・ロペス前駐日大使は写真を撮るのがお好きなそうで、大使7年間で数千枚撮影したそうで、その中でも選び抜いた30枚を今回展示会を開催し披露する事になりました。写真は皇居の場面から京都、奈良、城そして相撲とロペス大使ならでは視点で撮影されたもので楽しむ事が出来ました。


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パラグアイ・セントロ日系は今から20年前に日系二世を中心とする若いグループが中心になって結成されました。創立から20年が経過して当時は若手と呼ばれた人達も現在は中高年と呼ばれる相応の年齢となり、現在では日系社会の中核を担っており、この時代の経過に伴いセントロ日系も日系社会で重要な役割を果たすようになって来ています。創設当初にアスンシオン郊外に土地を購入し、会員が週末にくつろぎ、お互いのコミュニケーションの場所になるよう計画しました。この20年の間でイタグア本部は整備が進み、現在では当初描いていた宿泊設備やスポーツ施設が在る立派なクラブになっています。昨年はここで日系移住70周年式典・祝賀会も開催されました。

会員だけではなく、周辺地域の人達の為になる活動を模索し、今までも道路の整備事業などを行う等地域に貢献し、地元のイタグア市からも高い評価を得ています。今年は創設20周年に当たる事もあり、地域の診療の中心となる医療センター建設を目指し、在パラグアイ共和国日本国大使館並びに国際協力機構パラグアイ事務所の協力を得て敷地正門横に開設する運びとなりました。ここには元々土地を購入して直ぐに建てたキッチン、トイレ、更衣所等がありましたが、10年前に現在の本館が建設された後は余り利用されておらず、今回はコストを抑制する意味もあり、この既設の建物を活用する形でプロジェクトが進みました。昨年の時点では20周年の記念事業として有力視されていたのが、セントロ日系の前の道「日本大通り:アヴェニーダ・ハポン」のアスファルト舗装でした。昨年にはセントロ日系で日系移住70周年記念式典が開催され、それに併せてアクセスの改良を行なうという計画でした。しかしながら数年前に同じように日本国大使館の支援で舗装改良工事が行なわれた経緯があり、類似の工事という事で今回は見送りとなり、改めて周辺地域の住民にとって何が一番必要なのか再度検討を行い、結論として今回の地域診療所になりました。

医師は当初は日系の医師が交代で勤務する事も検討されましたが、アスンシオンから1時間かかる事、日系専門医師の数が少ない事等の理由で主に地元に住んでいる医師が中心となり日系医師も加わるという体制になったそうです。診療室は3室あり、一般の内科の他に「眼科」と「歯科」があるのが特徴です。一般の病気の他に目を患う事があってもなかなか適切な治療を受ける事が出来ない人が多く、歯科に関しても同様で身近に治療施設が無いので放置している人が多いのが現状です。今回最新設備を有する診療所開設でこの地域の健康改善に大きく貢献するものと期待されています。

9月22日(土)17:00より開所式典が開催されました。診療所の横にテントを用意してセントロ日系の会員メンバーの他、日本国大使館、国際協力機構、イタグア市の関係者等が多数出席しました。両国国歌斉唱の後、セントロ日系会長の川田忠さんが力強くセントロ日系の理念と診療所の意義を宣言、続いて市長、大使が挨拶に立ち新しい施設の開所を祝し、記念プレートの序幕、そして施設のテープカットと進み参加者全員で施設内部を見て廻りました。真新しい設備を有したこの施設が今後はセントロ日系周辺地域の医療の向上に繋がるものと地域の皆さんから期待されています。テープカットがされて、中の様子が紹介されました。内部も綺麗に仕上がりスッキリとした気持ちが良い内装になっています。

イタグア地域診療所開所式典に引き続きセントロ日系創立20周年式典が開催されました。会員の他、在パラグアイ日本国大使館、国際協力機構パラグアイ事務所、パラグアイ各地の日系団体の代表者、イタグア市長他地元関係者など多くの招待者が参加しました。また外国から多くの友人達も参加しました。全米日系人協会会長の他アルゼンチンからはアルゼンチン・セントロ日系の代表、ペルーからは色々な側面から後発のセントロ日系を応援している日系クラブ「アエルー」の代表、ウルグアイからはウルグアイ日本人会会長、チリからはチリ日系人連盟の代表の方が参加され、それぞれ記念品の交換を行ないました。セントロ日系は常にこれら南米各地の日系社会の友人達と連携を取り全米日系社会全体の連帯を目指し交流を行なっています。

式典終了後は場所を移して祝賀夕食会が開催されました。料理は会員でもあるデリシャス・ハポネスに委託、日本風の料理が振舞われました。台所・食堂の前の大きなスペースにテーブルを並べ、階段の上の部分を舞台に仕立てショーを観ながらの夕食となり、各テーブルの上には20周年を祝う飾り付けをしたお花が飾られていました。乾杯に続き食事とショータイムとなりました。ショーの出し物は3つで、最初の出し物は地元イタグアのパラグアイ・ダンス、伝統的な壷を頭に載せたダンスなどを披露しました。次は日本舞踊、「仲良しクラブ」と称する3人のお嬢さんが着物を着て純日本風の踊りを舞いました。彼女達はセントロ日系青年部の中心メンバーでもあり、今回のイベントでは準備に協力していました。若い世代が育っているのは頼もしい限りです。最後は瓶ダンスが登場です。頭に瓶を重ねて踊るというもので、積み上げると身長よりも遥かに長いものとなります。バランスを取り歩くだけでも相当大変なのですが、この状況でダンスをするのですから驚異的です。最高15本の記録を持っているそうですが、この日は風の在る外での演技という事で風もあり、4人の踊り手の中で11本が最高でした。それでも見事な演技に拍手喝采でした。ショーが終わると20歳の誕生日を祝福する大きなケーキにナイフを入れ花火が連発で打ち上がり創立20周年を祝いました。その後、青年達は深夜までダンスに興じていました。

セントロ日系は日々成長を遂げています。世代が交代し、日系社会の中心が二世から三世になって行きます。移住の歴史も70年を超えて成熟期を迎えています。出稼ぎによる若い世代の空洞化など多くの問題を抱えてはいますが、これらを乗り越えて更に発展して行く事でしょう。

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アスンシオン市人造りセンターにおいて版画展が開催されました。国際交流基金、在パラグアイ日本国大使館、パラグアイ日本協会の皆さんの協力で日本月間のイベントとして行なわれました。

棟方志功さんの作品が2点ありました。横尾忠則さんの作品もありますが、少々エッチな印象もあり、良いですね。

9月28日まで続きますが、下記の通りの時間帯で開かれています。

月曜日~金曜日:午前 09:00時~12:00時まで
午後 15:00時~20:00時まで
土曜日: 午前 8:00時~12:00時まで

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パラグアイはもう2ヶ月くらい雨らしい雨は無く乾燥し、全土で山火事が発生して危機的な状況となっています。生活していてもとにかく煙く夜も眠れず気分が悪くなります。空気が汚れるというのは本当にきついもものです。この週末に雨の予報もあったのですが、これも可能性が無くなったようで、今後10日間は雨無しのようで、雨が降るのは今月末になるようです。

山火事の様子が連日伝えられていますが、新聞の上空からの写真を見ますとかなりひどい状況である事が理解出来ます。

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